2018
12.07

実家の物置がぶっ壊されて更地になったことを聞かされたのは、つい先日の事でありました。

私メが知っているのは、納屋の二階にあった父の書斎の、さんざんに荒れ果てた光景であります。

荒れ果てさせたのは私メ。取り壊すにあたり、不要なものを整理するつもりが、すべて不要なものと断定した結果が、この画像でありました。

父が死んで12年間も、そのままの姿で保存しておりましたけれど、まったく不意に、「壊してやろう」と思い立った、その理由はもう忘れましたです。
いや、母屋の二階の私メの部屋の隣にトイレを作ろうとしたのが、ことの始まりてありました。
ところが、この夏の暑さ。
トイレどころではなく、殺意すら覚える暑さに、
「あらたに快適な部屋を作り、母屋とつなげよう」
つまり猛暑がキッカケしていたのであります。

業者から更地になって画像を送ってもらい、それを眺めていると、そもそも、そこに納屋があったのかどうかすら分からなくなってくるのでありました。そもそも父という存在があったのかどうかすら。

この樹木は、生まれる以前から立っており、古い写真を眺めると、いまよりずっと幹は細いのであります。
「なかは空洞ですが」
庭師が言いました。
「どうしますか」と。

すると、どーしたわけか私メは突然に不機嫌になり、
「手を付けなくて良い」
と上から言葉を発したのであります。

どーするか、だと。

ところが、亡父の思い出という思い出を、すべて処分した爽快感はどうしたことでありましょう。

昨日まで、私メは廃墟のごとき廃れた街におりました。

廃墟も撤去すれば更地となり、すべて無になるのでございます。

時間軸は未来への一方通行。
古い思い出も、懐かしいすべての人間も、過去になってしまえば、それは幻想にしか過ぎないのかもしれませんです。