2018
12.08

イブまでの数日間は、理由はまったくございませんが、しやわせな期間と申せますです。
私メも、年甲斐もなく、ケンタの前にたたずみ「クリスマス」の文字に心を震わせたりするのでありました。

キリストさんとは何の関係もなく、また聖書にだって東洋のはずれの人種を相手にして書かれてはおりませんのに、宗教とは切り離した幼児体験にあるのかもしれませぬ。
つまり、サンタがトナカイと、雪の草原をやってくるという絵本や、お話が、クリスマスという言葉の響きと、冷たい12月の風とが混ざり合うと、しやわせ感に包まれるのでありましょう。

ハッと気づくと、もう年寄で、サンタになれるお年ごろ。

そして、この時期は占いの鑑定がトドッと押し寄せるのでございます。
しやわせな期間だというのに、そのしやわせは儚いことを感じ取っているのでありましょーか。

占いを始めましてから、クリスマス前後に、人間らしい生活を営んでいないなぁと、顧みたりするのでございます。
そういう期間に、エアポケットのよーに、自由な時間がポツンと生まれたりいたします。

散歩に時間を使用するのであります。
おデートには時間が足りませぬ。

お花が贈られてきましたです。
香りのないのが特徴の、「すがしいものはない♪」と歌われたシクラメン。
お部屋に飾ると、からくれないの花びらの向こうから、お女性たちが手招きしている気がいたします。ずっとずっと昔にまじわったお女性たちが。

もはや老婆の域に達している彼女たちではありますが、
「若かったなぁ、あの頃は」
と、愛憎の思い出を、しみじみと語りたいとも思いますが、おそらく老婆までには達していないと妄信しているでありましょーから、私メの希望も妄想にとどまることでございましょう。

彼女たちの弾力を思い出の中に封印しておいた方が、しやわせと言うものかもしれませんですし。

しやわせなこの期間を、さらに濃縮させるものは古い洋画でございましょーか。
舞踏会の手帖とか、あるいはマービン・ルロイの若草物語とか哀愁、心の旅路とかの一連のモノクロ映画を。