2019
07.09

叔父の死体が火葬され、灰に化し、収骨にいたる一連の儀式に流されているうちに、自分もまたいつの日か、そーなるわけだと思いましたら、こんな画像を撮ってしまっているのでありました。

この身もまた灰燼となることは避けられぬ未来なのでございます。

この世での存在感は肉なのでアローか。骨なのでアローか。

自分のこの唇で、ものを喰い、女体をしゃぶり、言葉を放ち、息を吸う。
唇が肛門からまでの一本の管であり、その管ごと、いつの日かバーナーで焼かれることが信じられるようで、嘘みたいな気もするのでございます。

この目は自分の目なのか、自分の目なのに、自分を見ることができない理不尽。

景色を眺め、秘所を見つめ、本を読んだりする目は、心のどこにつながるのか。

叔父の白蝋のようなデスマスクとはあきらかに違っているのに、そのどこがどのよーに違っているのか。

私メの著した人相本が品切れらしく、
「ああ、人相のセミナーもしなくてはな」
などとも考えているのであります。

もっと肉体の芯の部分のクローズアップも載せようとしましたが、自制いたしましたです。
むろん、そのセミナーは「刀巴心青」という色情人相であることはいうまでもございませんです。

気色悪い画像にお付き合いくださいましてありがとーございますです。

2019
07.08

オノ家には厳しい戒律がございまして、そのひとつに「他宗教を禁ずる」というものがございますです。

キリスト教はもとより、仏教であっても曹洞宗以外の者は屋敷内に住んではならないというのであります。
そのために数々のトラブルがございましたです。

先日、母方の妹の亭主、つまり叔父が85歳で亡くなったのでありまして、その叔父が他宗教。つまり法華経徒なのでありました。
母の母、つまり祖母も法華経徒。

私メとしては父方と母方の宗教上の相剋の狭間にありまして、苦しい立場でございました。

それで、怖い顔で葬儀場の川崎へと向かったのでございます。

会場に着く前に、コンビニの喫煙所でプカリとしていましたら、頬と額に大きなイボのあるオババが近寄ってきて、

「火貸して」
と寄ってきました。

オババは二本チェーンスモークをいたしておりまして、それが祭壇中央のタスキを斜めにかけたオババだと気づくのに、時間はいりませんでした。
川崎支部の代表代理とかで、教団では「先生」格ということ。

オババが振り向いたとき、目が合いまして、ウィンクを送ってあげましたです。
じつにイヤ~な表情をなされておいででありました。

今夜は通夜、明日が本葬なのであります。

親戚たちは、
「ああ、あれが噂のオノ家の木偶のボーね」
と私メを避けておりました。

亡き祖母が、川崎に来るたびに私メの悪口を告げていたことは知っておりました。
「あんだの名前の画数が悪いから、運勢も人柄も悪いのだよ」
とも言われたことがございます。
それが「では本当かどうか調べてみたい」と、占いを始める原因の一つにはなっておりますです。

が、けっして祖母を憎んではおりませんです。
むしろ微笑ましいのであります。
高校二年の夏の日、私メが風呂に入っていましたら、祖母が誰もいないと間違って入ってきたことがございます。
当時、65歳の祖母の、つかの間ではありますが、驚くほど美しい裸体を目撃したのであります。母よりも叔母たちよりもつややかな肌。祖母は慌ててオケケを隠しましたが、そのために二つの乳房が両腕のなかで盛り上がり、以後、祖母の悪口には、あのときの羞恥が炎を上げているのだと、ふたりの秘密を愉しむよーにもなっておりました。

南無妙法蓮華経のお経の響く異教徒のなかで、オノ家の戒律も「バカバカしいことだが面白いではないか」と、だのに誰かを激しくイジメたい衝動にも駆られておるのでありました。

2019
07.05

蝶のサナギが、羽化のときを待っているのでありました。

可笑しなものでございます。卵から幼虫となり、幾度かの脱皮をへて毛虫になって、サナギの時期を迎えて、そして蝶になるわけであります。

蝶は、ひらひらと空を舞い、交尾して葉の陰に卵を産みつける。

蝶は、蝶としての時期が本当の姿なのか、葉っぱをエサとして枝にへばりついている時期が本当なのか、サナギを見上げているうちに不思議に思てくのでありました。

蝉もまた、地中にいる数年間が本当の姿なのかもしれませぬ。

いずれにせよ、あでやかに舞う蝶には、目前に死がございます。死しかございません。
中年の国語教師が「私の未来は…」と語った時の、もはや未来のないものが「未来」を夢見る愚かさに失笑したものでありましたが、しかし、蝶の五色の羽根の模様の艶やかさを笑う者はおりますまい。

毛虫のままでは交尾する相手は出てこないことを知っているのでありましょーか。
やはり美しくなければ、おセックスは無理、愛されるはずがないのだと、それで死にゆく最後のイベントに美しい姿を神から贈られたのかもしれません。

花が咲き誇るのもおなじ理屈と思えてきますです。

では、人間は…。
羽化の時を待っているのか、終わってしまったのに、まだ何かを待っているのか。
待っていても、ただ老いが深く刻まれるだけなのであります。