2022
09.24

いきなり私メだけの池から大砲の音が響き、窓を見たら、花火が。

「勝手なことをしやがって!」

まだ、爆音は続いておりますです。
昨日は、城跡で、愚民のコンサートが開かれたとか。

黙って畑を耕しておればいいのだ。

しかし、思い起こせば、私メも若いころ、そーいう祭り騒ぎに弱かったのであります。
花火大会があると聞いて、合宿を下級生(むろん女子)と抜け出して北上川に見物に行ったこともございますです。
帰り道は激しい夕立にあい、雨にずぶ濡れで合宿場に戻ったことも。
絵にかいた青春の一ページでございました。
たしかあの時、合宿場の軒下で、下級生の女子を抱きしめたら濡れた冷たいシャツの下から熱い体温がつたわり、おもわず彼女の顎をかじったのでありました。
なぜ、くちびるではなかったのか、いまでは不明でございます。

白いヘルメットに、イギリスの国旗を描き、大通り(ドリコーと呼んでおりました)をイイ気になってバイクで流した一時期もございまして、戦前の奴らからは、アメリカナイズされた少年と言われ、それが揶揄だとも気づかずに気取っておりましたです。

小説家の五木ビロユキが、若い頃に住むところがなく神社の社の下に寝泊まりしていたと読み、それをマジに信じて同じことをしたら、通報され、パトカーが数台集まって、すんでのところで捕まるという愚かなこともいたしましたです。

またミッキー安川とかいうホラ吹きが、雑誌中一コースに、横浜の港から、こっそりアメリカ船に乗り込み、厨房で働いて渡米したとの記事を鵜呑みにしたこともございました。

外に出ましたら、今が盛んと花火が夜空に咲いては消え、バラバラと火の粉の音まで耳に出来るのでした。

同年代の奴らは、すでにジジイかオババ。
くちびるを噛んだとき、あっと声を漏らした女子も、いまは無残なお年頃。でも、やってて良かったです。
まだ生きているのか死んでいるのか。

老いて眺める花火は、また別の意味でしみじみさせてくれるのでありました。

2022
09.23

去年、漬けたものがあるから、今年は止そうと決めておりましたが、青唐辛子や紫蘇の実があまりに安かったので。つい手を出してしまいました。

一カ月遅れの南蛮の一升漬けとあいなったのであります。

キッチンで南蛮を刻むと、その青臭い臭いがこもるので納屋の前で。
素手で南蛮を刻むと、二、三日辛さが手の皮膚に沁み込み、目でも擦ろーものなら、それは大変なことになるので、オペ用のゴム手袋をはめたのであります。

今年で三度目。
粛々と作業は続けられたのであります。

これも、いずれ根絶やしにしなければならぬ中国人が故意に流行らせた新型コロナの置き土産なのであります。いや、中国人の渡日を歓迎する日本ザルも壊滅させるべきなのかも知れませんが。

疫病前までは、この一升漬け。ある蕎麦屋で扱っておりまして、しかし、疫病をきっかけに、それまで販売していたくせに、
「いえ、何の話ですか?」
とトボケられたのでありました。

もう食えぬのかと弱っておりましたが、ぞーだと気づいたのでした。
「自分で作ればイイのだ」と。

そのほか色々と新型肺炎の置き土産はございます。
新幹線をはじめとする交通機関の空席が目立ち、とても快適なこと。
葬式や結婚式などの式典が、バカに簡略化され、時間や慶弔費がかからなくなったこと。
絆とかスキンシップのオショシイ行為が薄れ、ハグされなくなったこと。
実質、鎖国となったこと。

数え上げたらキリがございません。

さて、
「東京からコロナをもって来るから」
と二年間、避けられていた妹が、どーやら感染したらしいのであります。4回目の接種をしたのに、であります。
油断したのでしょーか。6月から実家にイヤに顔を見せだしたのであります。

と、いうわけで、ひとり黙々と一升漬けをつくったりする田舎暮らしなのでありました。

2022
09.22

ただ、ひたむきに赤とんぼが交尾をしているのでありました。
羽根に触れましたが、逃げませぬ。
気づかないと言い換えたほうが正解でしょう。

モリオカの大型スーパーマーケットのパーキングなのでありました。
仕方ないので、
「よろしくやってくださいまし」
と、ふたたび店内にはいるのでした。

「!」
店内を目的もなく彷徨っていると、似たようなことがあったかな、と記憶が頭をかすめましたのでございます。
自分のことではございません。
「そうだ、映画だ、あの映画だ」

立川米軍基地で働いている主人公の青春映画でした。
主演は、黒沢年男。
ジュンという弟分がいて、そのジュンが、黒沢年男の情婦でホステスの原知佐子とアパートで何かの拍子でデキてしまうのでした。
そこに黒沢年男が帰宅し、現場を目撃。
黒沢年男が、しゃがれた声で、
「風邪…ひくなよ」

どこが良かったのか、中学二年の私メは、この映画にひどく感動しまして、リバイバルも含めますと、7回も観たのでした。
で、その場面が来ると、その都度、
「風邪…ひくなよ」
銀幕にむかい声を合わせたのでありました。

いそいでクルマに戻りました。
そのセリフを投げかけるために。
黒沢年男は、映画ではボンバージャケットの襟を立てておりましたから、私メはピンクの麻のシャツの襟を立てました。

でも、赤トンボはもういないのでした。
「風邪…ひくなよ」
モリオカは秋の気配が色濃いのでありました。
蘭丸さまに逢いたくなりました。