2022
09.13

ぼやぼやしているうちに、春の花はとっくに終わり、夏の花も枯れ、秋の花の季節となっているのでありました。
秋の花は、どこか勢いがございません。
つつましやかなのであります。

四柱推命で大切なのが、大運で、運命の7割がたを支配するのが、この大運。

たとえ元命式が良くても、この大運にそっぽを向かれますと、人生は面白くございません。
「あんなにイイ人が、どーして不幸な目にだけ合うのだろう」
という生き方をするのであります。

反対に、悪命でも、30代から50代の活躍する年代に、良い大運に恵まれますと、
「あんなひどいヤツが、どーして豊かな生活を送っているのだろー」
と、つくづく世の不公平に生きる力が失われるのであります。

どこかの老いたシスターに、
「その場で咲きなさい」
と諭されたとしても、咲きよーがございません。
調子のいい言葉に乗らされて、結局は騙されるのが関の山。

秋の花を眺めておりますと、
「不公平であたりまえ」
と声が聞こえるよーな気もしないではないのです。

そして、命式と大運とを細かく審査していきますと、ほとんど微かな救いがあるのも事実であります。
たとえば私メは秋の火炎土躁という悪命でございまして、
「よく生きていられるねぇ…」
師匠に揶揄されたものですが、しかし、その師匠も見落としていた救いがあり、無意識に、その微かな細い道を歩いていたことに気づかされるのでございます。
たとえ、微かな獣道のよーな細い道でも、歩き続けることで太い道になるのであります。

秋になると、どこかホッとした気分になるのは、その道の展望がひらける季節だからかもしれませんです。

このような運命打開の発見は、占いにしかございません。
頑張れだとか、希望を捨てるなとか、積極的に生きろとか、根拠のない応援とは違いますです。

四柱推命に沿った生き方はじつにイイものであります。ときには遁甲を使用し、あるいは断易というカンテラで道を確認しながら。