2022
09.26

モリオカに戻ると、声を出す回数が極端に減るのであります。

老母とは朝昼晩の食事の時だけは顔を合わせますが、
「勝手にしますから、そちらも干渉せず勝手にどーぞ」
こういう有様ですから、
「今日はだれと話をしたかな?」
自問するまでもございません。

部屋はいくつかあり、その一つが画像の部屋であります。
ここには、鹿の骸骨が飾られております。
大の字になって、鹿の骸骨を見上げておりますと、だんだんと私メも鹿になって、森を駆けている空想にひたれるのであります。
その空想を邪魔する物音も届かないのでございます。

建て直す前は、この二階の部屋は八畳の畳敷きで床の間があり、私メの部屋でございました。
東に大きな窓があり、朝日が眩しく射して、睡眠妨害のこの部屋に腹が立っておりました。
そこで東に窓はございません。
窓のところには、この鹿の骸骨。

「死んでしまったものはイイ…」
じつに良いのであります。
やはり、人は30代に死んでしまうのが正しいのではないかと思ってしまうのであります。

坂本龍馬だの久坂玄瑞とか高杉晋作などの若くして死んだ維新の志士たちは、若くして死んだからこそ清々しい英雄として伝わっているのではないかと思うのであります。
彼らが50代だの60代まで生きていたら、たぶん汚職とかそーいう汚れが沁みついていったことでありましょー。

四柱推命で「汚玉」という言葉がございます。
辛という宝石が、己の泥に汚れてしまい、悪しき知恵のために使い物にならない宝石となってしまうのであります。
それとは別に、庚が壬という水に浸かっていると、汚玉とは別ですが、透明の膜が庚を包んでしまう場合がございます。
これを白い錆と申しまして、やはり庚の人格が腐るのでございます。

人も長く生きすぎると腐るのであります。

鹿の寿命は詳しくは知りませんが、人はあまりにも長生きしすぎ。

私メもウンコを洩らさぬうちに死なねばなりません。