2010
12.17

DSCN4244クリスマス寒波と呼ぶにふさわしい寒さが訪れていますですね。

画像は、夏の日のロメオでございます。

あの眩しいほどの光はどこへやら。今夏の狂ったような暑さの記憶はもう遠く薄れているのでございます。

快楽に関する記憶が薄れるのは分かります。

Hのこともそうですが、美味しい食べ物もなかなか記憶に定着いたしませんですね。
美味しいということは覚えていても、どのように美味しかったのかは、すぐにあやふやになります。

覚えていることは飽きにつながり、それは人類の滅びにつながるからであましょうか。
飽きは愛にも連動するのかもしれませぬ。

結婚してしばらくすると家庭内Hがなくなるのは、愛という飽き…いや安心感があるからなのでしょう。
Hをしなくても関係が維持できるからということもあるのでありましょうか。

対して恋はといえば、去られるかもという不安、別れるという不安定な関係から、おのずと求めあうことになるのでありましょうね。

いや、それにしても夏の暑さを実感として憶えていないのはどういうことなのでしょうか。

夏の日、サングラスをかけて散歩していたロメオは、いまや寒さに震え、暖かな部屋の中から出ようともしないのであります。

  1. 本当に冬になると扇風機という電化製品もどんな用途に使うものか忘れてしまいますね。
    子供を沢山生む人も出産の大変さを忘れてしまうから同じ過ちを繰り返すことが出来るのですね。
    忘れることは神さまからのプレゼントなのですね。
      ●十傳より→それなのに、ウンコが臭いことを忘れずにいるにもかかわらず、なぜ毎日繰り返してたれるのでありましょうか。

  2. 今年の夏は本当に暑かったであります…。マジで死ぬかと思ったと事も何度かありました(笑)。しかし 冬になり寒い。
    中国の古典 十八史略にこんな言葉があります。
    「人生は白駒の隙を過ぎるが如し」
    人生とは夢現、 戸の隙間から白馬が走りすぎるの見るように一瞬だと言う意味合いであります。
    ●十傳より→ハッと気づいたら老人になってい盆栽の手入れをしながら、過去のあれこれを思い出しているようなものかもしれませんですね。