2011
02.27
02.27
11月に店じまいしたマミーが紺屋町に、あらたに開店した話を聞き、探し回っていたら、このような恥ずかしい看板に遭遇したのでした。
まるで変わることが正しいように思いこんでいるところが恥ずかしいのであります。
明治維新が正しかったと信じて疑わない人々のようであります。
変わらないということも美しいのであります。
いや、むしろ変化のないことによって深みを帯びることのほうが多いのかもしれません。
しばらく歩きましたら、今度は、こういうまたまた恥ずかしい店を見つけたのであります。
黒板には「下ノ畑ニヲリマス」などと宮沢賢治気取りなのでございます。
ギャッ!
と三歩ほど後ろ飛びに退いたのでした。
ここは昔ながらの風情を残そうと、つまり変わらないようにと苦しい頑張りを見せている店のようでありました。
変わることも変わらないことも、とぢらも無理はいけません。
このように自然に朽ちていくにまかせてしまえばイイのであります。
いまより良くなろうとか、そういう気持ちの悪い向上心は、この古い町には似合わないのでございます。
まてよ。
これを女体に置き換えて考えればどうだろう…と思うのであります。
努力によって若い肉体を維持する女性。
自然に崩れるにまかせている女性。
美容整形する女性。
女性に限っては美しさを保つための向上心や投資は、これは応援したいのであります。
豊胸、歯列矯正、目や鼻の整形など大歓迎なのであります。
さて、目指す店は見つかりませんでした。
なにしろ店名も知らないのであります。
知り合いに電話して訊けばいいのでしょうが、それも億劫。
いずれ…いつの日か「いっしょにどう?」と誘われるのを待つしかないようであります。
そーですよね。自然はウグイスがスズメになりたいっ!とスズメになる努力はしませんよね。
そのままの個性を認めて磨けばいいとです。
私事で恐縮ですが、お客さんのいないお店に行きますと、お客さんが多くなるんです。
で、レジに行きますと、私の後ろから並びだすので、長居できません。これを「招き猫症候群」と名付けています。
●十傳より→座敷わらしのようでありますね。
「行動しなければ何も変わらない!!」
は本当です。私の両親はすごい心配性です。
そんな私も心配性です。異常に心配するので、キレます。
大らかに生きたいんです。姓を変えるしかありませんね。
●十傳より→耳に心地よい掛け声には用心してくださいましよ。
先生っ りり、混乱しております・恥!
恋の字は確かに「下心」ですが 果たしてそうなんでしょうか?
(先日、私自らコメントしてますが・・)
先日 下町メンバー飲みの席で 恋ばないたしまして
「恋は下心」「愛は真心」そして結婚は「愛情の愛を取って情」だっ!
と愉快なバカが発したのです・呆!
女性陣は「わかるわかる!!」「わっかるう~っっ!」など雄叫びあげながら 下心をテーマに 盛り上がったのです
下心とは ・・・ かけひきであったり 見返りであったり と。。
そして「愛」は 血縁ある家族へ愛情、ペットへの愛 など
かけひきなど関係なく 見返りも求めることはナイものだと
夫婦愛は又別で所詮 他人だから「情」だろうと
バカ始め 私たちは落ち着いたのです
「そうだっ!そうだ!」「おっしゃるとおり~」・呆!
本日 青山のオープンカフェで ソウルメイトならぬ
親友とお茶してまして 恋のお話してたのですが・・・
<恋>に下心ってアリですか? (我に返ったのです)
人を思うことも思いやりも 志だって 心は下に書かれます
下心がある恋なら 私、やっぱり<愛>がいいです
見返りなんていらないです
どうせ 色ボケ・狂い咲きの年頃です 純愛しますわっ!
本日オープンカフェ辛かった~花粉が絶好調です・涙
●十傳より→Hをする関係は「恋」。しなくなったら「愛」だと私は確信しているのであります。惚=心+勿+心。心禁じてもなお芽吹く心かな。
今日、礼拝にいってきました。
20年位前に曽野綾子の『心に迫るパウロの言葉』を読んで楽になった事があり、
いつか教会へ足を運んでみようと思っていただけでしたが、やっと実行できました。
約95%がシルバー層でしたから、自分をかなり浮いた存在に感じましたです。
感情移入体質なので、一瞬うるるんとなってしまいました。
礼拝の内容は、曽野さんの解釈と比べて随分と狭量だなぁと感じました。
あたし、どこ教でもないけれど、神様がいると信じています。
だって、あたしが悪い事を言ったりしたりすると、
必ずといっていい程に罰が当たるから…
あたしって神様に熱烈に愛されているんだなぁ…てな風にです。
●十傳より→電車内で藻屑現象にせっつかれたときと、PCがクローズした時のみ神に祈るのであります。
やだ ・・・
もうっ先生! 恐れ入りました!!
Un beso !!!
●十傳より→ははぁっ!
まーったく。
先生はすぐに女体に置き換える。ほんとにもう。
Hをしなくなったら「愛」…。
確かにそうですよね。
夫はとても大切な人であることは変わらないのですが、Hをしたい対象ではないんです。
しちゃったら、近親相姦のような気分というか…。
あたしの夫たるもの、
歳を重ねてもいつも、世間の女性が、ステキ!って思ってくれるような男性であってほしい。
そして、仕事ばかりではなく、恋もして、切なくなるような潤いも持ってほしい。
…って思うんです。
病気と妊娠だけは気をつけてねって冗談まじりに言っているのですが、なかなか真面目な人で。
もっと人生を楽しんでほしいんですけどね…。
変な考え方かもしれないけど、これもやっぱり「愛」なんじゃないかなって思うんですよねぇ。
●十傳より→まさに麗しき夫婦愛であります。
あたしは毎日祈ってますよ
こっちもあっちも、
あっちもこっちも
垂れませんように!って
●十傳より→そっちのほうは、祈るより訓練というか努力が効果があるのではとおもうのでありますが。