2022
04.10

所用で荒川区に赴いたのでありました。
ほとんど足を踏み入れたことのない区域でございます。

町屋で地下鉄から地上に出ますと、
「山谷の人たちがコロナ禍のために2年間も仕事がなくて苦しんでいる」
とビラをまくオヤジさんたちが目につくのでございました。
バケツが路上におかれ、それが募金箱となっておりました。
そのバケツに危なく躓くところでありました。

どーもそこらへんから、時のラビリンスに入り込んだよーでございます。

昭和感が色濃くのこることに驚き、そのまま都電に乗り込みました。
都電荒川線の名称が、「東京桜さくらトラム」と変わっていることにも、へへぇとこちょぐたくなるのでありました。
トラムとは路面電車の意味なのですが、LRTとしなくて良かったと他人ごとではありますが、すこし安心いたしましたです。
でも、「さくらトラム」の「さくら」は、すこし悲しいのでありました。
早稲田から箕輪まではしる、都電荒川線は、絶対になくしたくない東京のやさしさなのであります。

その都電にのり、両側の桜並木を眺めながら、荒川区役所前で下車いたしましたです。
人工池がありまして、釣りをしている二人や、ただベンチで池を眺めている5人衆、離れたところでは幾人もの老人が藤棚の下で、囲碁や将棋をしていてるのでありました。
また多くの子供たちがブランコで遊んでいたり、むやみに走り回る光景なのであります。

それらは失われた懐かしい光景でありました。
つい、
「いまは西暦何年ですか?」
と尋ねたくなったのでございます。

とおくウクライナでたったいまでも殺し合いをしているとは、にわかには信じがたいのであります。ウクライナの美人な姉さま方がペットを殺して食っているだろう同時刻に、このよーな無意味な生を諦めている人々の静止。
「北海道は自分たちの領土だ」とロシアから威嚇されていることも信じられない、貧しい平和がそこにあることに、やはり過去に遡ったとしか思えないのでございました。

ふたたび千代田線で地下に潜り、大手町までもどりましたら、いつもの風景。

時間旅行のせいか、はげしい疲労をおぼえ事務所にたどり着いたのでございます。

  1. 子供の頃に何度か都電に乗ったことがございます。
    「トラム」なんて名前の変わったのですね。
    都電のほうがしっくり馴染みます。
    そうそう、やはり子供の頃に王子の飛鳥山で親戚大勢で
    花見をしたのを思い出しました。

      ●十傳より→おもえば自由で贅沢な時代でしたねえ。

  2. 実は地方都市より東京の方が昭和の風景が残っていたりしますよね。巣鴨とか。

      ●十傳より→同感であります。

  3. 先生の故郷の詩人石川啄木「散る桜 残る桜も散る桜」のようでありますね。

    ●十傳より→見事な詩ですねぇ。

  4. 都電荒川線、懐かしいですね。
    東京で過ごしていた頃は、都電荒川線に乗って通勤や遊びに行ってましたね。
    さくらトラムという名称はあまり慣れませんでした。
    また、利用したいですね。

    ●十傳より→都電も江ノ電も、たまらないほどの幻の郷愁を刺激いたしますです。

  5. 幸せになる根本は、自分自身と向き合い、受け入れ、身の程を知ることではないかと最近、思っています。ただ、それは非常に辛く厳しいことですが。
    しかし、それをしないと合わない物事をいろいろとやるはめになり、ついには潰れてしまいます。無論、夢や希望、憧れも大事です。
    要はバランスなのかもしれませんし、割り切りなのかもしれません。
    嗚呼、生きることはなんとも苦しいことなのだろうか。

      ●十傳より→時というものを見逃さないことも大事であります。奇跡はつねに、そこに起きているのでありますし。