2012
04.01

余震は続いておりますです。

そのなかを震災で被災した従弟一族が、釜石に還ることになり、すこしお手伝いをいたしたのであります。

あとは車で出かけるだけのときに
「記念写真を撮りましょう!」
と提案し、これがその写真でございますです。

みなさま、晴れがましい表情をしておりますです。
荒れ放題の地でも、故郷にかえるのは、やはり無上の喜びなのでありましょう。

モリオカに別宅がありましたのは幸せ以上の、なにものでもございません。
震災直後から五日間自宅の三階に籠城。
水はひけても、周囲は釘だらけの瓦礫でしたから歩くこともできなかったとか。

津波にそなえ、30年前から毎日、タンクに水を入れて三階に用意していたことも不幸中の幸い。
従弟は山登りが好きなので、コンロとか非常食にも不足はなかったのであります。

イチバン困ったのはウンコだったそうであります。
お尻にビニール袋をあてて、プリプリッといたしたと、こっそり教えてくれましたのでした。

が、家族を一人失ったことは、人生最大の後悔、の叔父の言葉は、私メもけっして忘れることはないでありましょう。

彼らが去ることで老母は
「さびしくなるなぁ」
と申しておりました。
道中の食事にと、山菜ご飯を炊いて、お重にいれて渡しておりました。

モリオカはふたたび雪になるのでありました。

  1. 娘さんたちの成長が楽しみですし、
    不安でもありますね。

    左端の女の子が気になるのですが‥‥。

     ●十傳より→彼女は一族のバクダンになるであましょう。やがては私メの登場となる予感が濃厚なのでございますです。

  2. 私にはその「お重」が目に見えるようであります。もしかして風呂敷で包まれましたでしょうか。

    祖母がいた頃は「お弁当」はいつも海苔巻きと稲荷寿司がお重に入って風呂敷に包まれていました。風呂敷をしっかりと堅く結ぶ暖かく力強い手に私への愛情を感じておりましたが、その祖母の愛情と養母の絶え間ない嫉妬心が体当たりする事で私の心は壊れてしまったのでありました。

    山菜ご飯の一粒一粒がそれぞれの方の一つ一つの細胞に浸み渡った事ではないかと、
    炊きあがった山菜ご飯とその香りをを想像する私でございます。

      ●十傳より→久しぶりの帰郷に、ご近所の差し入れがあり、いっしょに山菜のご飯を食べているのか、それともせっかくだからと被災を免れた食堂に、一族ででかけ、その山菜のご飯は部屋の片隅で冷え切っているのか。そういうことを、どちらであろうと微笑ましく想像するのでありました。