2012
04.24

GW直前の湘南の海は、夏の装いで光っているのでありました。

桜はとうに散り終え、クリトリスのようなツツジの蕾もほころんで、手を伸ばせばそこは夏のであります。

誰にでも夏の思い出はございましょう。
夏というキーワードで記憶を検索すると、たとえ現実にはなかったことだったとしても、恋と言う一文字が浮かび上がるものであります。

私メは岩手県の内陸育ちでしたから、海には強烈な憧れを抱いておりまして、しかも、その海というのは夏の海でなければならないのでありました。

不良娘との海は忘れることができませぬ。
岩陰に座りながら何時間も海を眺めていたものであります。

「この煙草が乾くまで、ここにいよう」
などと、波のしぶきで濡れた煙草を岩に並べながら、そんな可愛いことを申したことを、不意に思い出し、顔を赤らめておりますです。
友達から借りたヤマハの90CCのバイクに二人乗りして来たのでありましたっけ。

雫石川の河原で学生服をぬぎTシャツに着替え、その不良娘も「見ねんでね」とやはりオレンジ色のTシャツに。
弁当だけバックに入れ、それは途中の早坂高原のベンチでいっしょに食いましたから、学校をさぼったってわけなのでありましょう。

「…いまキスしたの?」
はじめてのベーゼの直後の彼女の言葉がコレでありました。
「なして?」
とつづいたのでありました。

なんども夏を迎えましたが、私メにとってのほんとうの夏は、とっくにすぎ去ってしまっておるのであります。

不良娘と何時間も座っていた岩場に、立ち寄ったことがございます。
なにも感じないのでありました。
夏草が茂る、ごくふつうの岩場なのでありました。カップ麺のカップが小汚く捨てられておりました。

その岩場も昨年の津波で、あとかたも失われたことでありましょう。

彼女も50歳過ぎ。
モリオカで、母のつきあいで病院にいったときなど、待合室を見まわし、彼女に似たお女性を探したりいたします。

どうしても、幸せでいるとは思えないから不思議でありますです。
私メのヒネクレた差別意識なのでありましょうか、それとも易者としての予感なのでありましょうか。それとも…いやいや、もうやめましょう。

夏の海は想い出を懐かしむより、想い出を作れ作れと語るように波が寄せているのでありますから。

  1. 私も盛岡という内陸で育ちましたので海とは憧れの夏しか行けない処でした。進学先の仙台では海に近いという理由で私だけ学友とは全く離れた処に住み、貧乏学生でしたから週末は歩いて砂浜に行き、夜を過ごし、そして朝焼けを眺め、また歩いて帰宅して日曜日は寝て過ごす、そんな青春をしていました。あの地震の時はあの砂浜は勿論、住んでいた4号線の近くまで波が来たそうです。当時の彼の家族も波にさらわれたので私は彼のお墓を訪ねる事が出来なくなってしまいました。

    10年程前は福岡にいました。あの頃は心の病からどうにか立ち上がりかけていた頃でした。
    朝、6時過ぎに海に沈んで行く月を毎朝見送っていました。あの沈黙の時間が崩壊した心を癒してくれていました。生きた屍となっていた子連れの私を愛してくれた人を今でも感謝の気持ちで思い出します。

    もし、今度私を愛してくれる人がいたら、今までのいろんな出会いへの感謝をこめて私もその人を心から愛そうと戯けた事を考えていましたが、折角現れたそんな貴重な相手は私が好きになれるような人ではありませんでした。

    穏やかな日が続く今日この頃、私も湘南の海を訪れてみたくなりました。

    ●十傳より→朝の6時あたりに月が沈むのを見る…。満月から三日後あたりの月ですね。月がまだ見えるのですから冬場だったのでしょうか。九州は朝が遅いですね。

  2. 海がある街で育ったわたしとしては、
    夏になる前…まだ肌寒い頃か、夏が終わりかけた頃なんかも好きです。
    色がいいんですよね。

    いまキスしたの?なして?
    …先生は、なんて答えたんですか?

    ●十傳より→「好ぎなんだおん、好ぎだがらにきまってるべじぇ!」と、わめいたに相違なきごさそうろう。