03.24
記憶では、源氏物語の宇治十帖の最後、浮舟が濁情に絶望して、川を下るシーンがございました。
桜でもバラでもない、しかし可憐な花が、同じように小さな流れに身を任せているのでありました。
源氏物語では、浮舟に恋い焦がれた匂宮が、薫君を装って寝所に入り、彼女をむりやりに犯したのでありました。
ところが、犯された浮舟は、匂宮を拒むどころか、受け入れるようになるのでありました。
男性不信というよりも、自分の心に絶望した浮舟は、入水したのですが、死ぬことはかなわず、無明の闇の中で苦しむことになる…なんともいえぬ源氏物語の幕切れではありませぬか。
ほんとうに源氏物語が平安時代から残っているとは信じられませぬ。
戦乱などで消失していて当然であるからであります。
現在のヤツは、前田家に残されている源氏物語とか。
それはさておき、湘南ではいっきに花々が開花し、との花をめでたらイイのか困ってしまいますです。
ませた中学生の女の子のような季節でありまして、春は苦手だと言いつつも、花の蕾に視線が行ってしまうのであります。
どうやら、中学女子に限ったことではなく、お女性の心が、ここにきて淫ら模様に燃え上がっていると言えなくもございませぬ。
むしろ若い子の方が冷静でありますです。
当然かもしれませぬ。
自分自身が花の世代。
花の季節を借りて、心に着火しよういう年齢ではないからであります。
しかし、なんの力を借りたとしても、お女性が美しくなるのは絶対に素晴らしいことでありますです。
ムスッとして精神患者のような目つきで、相手の心の裏を探り当てたような皮肉な表情をしているよりは、ずっとイイのでございますです。
ついつい、花の撮影するにも、感情移入してしまうのであります。
花たちを、いろいろな物語に当てはめては、時よ止まれ…なんてロマンチックになっているのでございます。
源氏物語だけでなく、若草物語だとか、そんなお話の登場人物…すべてお女性ですが、彼女たちの囁きが聞こえてきそうな、私メにとっても甘い季節かもしれませんです。
花は咲きたくてさくのではありますまい。
実をつつけて種をのちに受け継がせるために咲くのでございましう。
ただ、それだけのことなのに、人間には濁情というややっこしい過程が組み込まれているのも不思議といえば、不思議でございますです。
その濁情が、慾を誘い、戦を起こし、人類を滅ぼす元凶となっているのですから、皮肉でございますです。
薄紫の花はスミレでしょうか。
清楚でとても美しいですね。
まるで前の画面のさくら鯛の姿に
手向けられたようです。
源氏物語は有名な物語ですが、
恥ずかしい事に私は一度も読んだ事はありません。
多少興味があり本屋さんで何度か手に取った事はありましたが
ついつい敬遠してしまいます。
改めて考えてみると、世の中の文明がどれだけ進み変化しても
人が人を愛したり憎んだりする行為は
何千年経とうと変わりはないのですね。
●十傳より→源氏物語は濁情のさまざまなパターンが織り込められておりまして、その点がなかなかでありますです。
源氏物語は女性にとても人気がありますが、アレが日本最古のエロ小説である…と思って読んでいる人はいるのかしら?…と思います。
昔、大和和紀さんの単行本を読みました。少女マンガの性の爛熟期…いまだに爛れているようですが。
●十傳より→あれは名作でありますです。小説家が訳したものより、ずっと分かりやすくてイイのでございますです。
濁情という漢字が読めるとは、おぬしなかなかやりますな!(吃驚!)
●十傳より→天才であるかもでありますです。