10.02
草原は枯野となっておりました。花の残骸が過ぎ去りし夏の日々を懐かしんでおるかのようでございました。
岩泉に抜ける国道を逸れると、もはや車は絶え、しんしんと晩秋の静けさが降るばかりでございます。
「わたしはずっとこの場所から離れられないんだよね」
と、それは残花が語ったのか、過去のお女性の遠い声だったのか…などと詩人になるような静寂の枯野なのでありました。
雨を告げるあやしい雲が一帯を覆い始めると、遠い声も消え失せて、ああ彼女もイイお年であるなぁ、と現実に戻るのでございます。
冬が来る前に楽しいことは楽しんでおかなければならないのだと枯野は語っているのでありましょう。
助手席の老母は、「便所はねべか」と申します。骨折は回復したものの、まだ洋式便所でなければ用を足すことはできませぬ。
この先の湖の反対側にレストハウスまで急ぐことにいたしましたです。
土煙を立てながら白樺のつづく未舗装の道はおもわぬところで車体を傾がせるのでございました。
便所を急いでいるのですが、急いでいるのは便所だけのためではありませぬ。では、何のために急ぐのかと自問しても答えは出ぬのでありました。
枯野と老母という暗示的な事柄から脱しようとしていると記せば、それはそれなりの答えではありますが、心理学の何とか症候群のように、納得はしても正解ではないような気もいたしますです。
老母が用を足しているあいだ、私メはレストハウスの食堂の椅子に座り、窓外を打ち眺めるばかりであります。
幾人かのドライバーが入ってきては出ていきました。
店員の娘は、そのたびに「いらっしゃいませ」「またどうぞ」の応対しておるのでありました。
私メは生存しているのだろうか。この世の人ではなくなっているのかもしれない。という錯覚に陥るのでございました。
誰の眼にも私メの存在はうつらずに、ただ枯野だけが蓬ばくと広がっているのではないだろうかと。
「なにしてらのぉ、そったなとこで」
と声がしたようでありましたが、誰もおりませぬ。
40年ほど前のお女性の気配が霧のように漂っておりますです。
老母はまだ便所から戻らないのでございました。
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