2015
06.16

時空間を飛ぶのは、三島由紀夫のいう金閣寺の鳳凰だけではありませぬ。

大宮にも時間を飛び古びたラーメン屋が存在しておりました。

入るのも出るのも、ちょっとおしょしいラーメン屋なのであります。
しかし、入らずに神奈川に戻るのも惜しい。

ラーメン屋なのに大威張りで腕組みする店は飽き飽きしてますし、そんな自慢のコテコテラーメンを食って、あまりの油に目を回してぶっ倒れたのが六年前。

素朴なラーメン屋がイイのであります。

ところが、内部は淋しくリニューアルされておりました。
「食券買ってから席についてください」
と言われましたが、どこにも券売機はなく、振り返るとオバさんが坐っていて、「表にあるのはほんの一部だから、ゆっくり選んでください」と満面の笑み。
「はじめて、ここ?」
「はい」
なんて60男に敬語を使わせる雰囲気なのでありました。選ぶまでもございませぬ。
ラーメンと塩ラーメン、そして冷やし中華と冷やしつけ麺がある程度であります。

「塩ラーメンを」
「それだけでいいの?」
「はい」
とまた敬語。

店内を映していましたら、「ここはね取材拒否なんよ」とラーメンが運ばれ、茹で過ぎの細麺。

これも昔ながらだろうとおもえばオツなもの。

味ももちろんB級。
そして禁煙。
水はぬるめの水道水。カルキ臭100パーセントでありました。

しかし、微笑ましいのであります。
落ちぶれごっこには最適。
ですから私メも落ちぶれたアーティストを演じることにいたしました。
たとえば「細い指してたんだねぇ♬」とうたう麻薬アーティストになりきろうとするのでありますが、中途半端に改装した店内では、なかなかそれも許されません。

たとえばかき氷などがあり、忙しく氷を削る音などがあればよろしいのでありますが、高校の文化祭などで見かけるみたいな、ありゃんの絵画に毒されて、演技もむなしくなるのでこざいます。
「取材拒否なのはね」
とまたオバサンが水をつぎにくるのでありました。
私メを勘違いしているフシがございます。

普通の倍近くある麺を完食し、みると丼の内側の龍のデザインがこすれて薄くなっているではありませぬか。

この丼を何人も口をつけてすすり、そのたびにたわしで洗ったのでありましょう。
時を経た丼に感動いたしました。

大宮はかつて、このよーな店が傾いてたちならぶ路地で密集しておりました。
しかし来るたびにキレイになっているのであります。
ダイニングバーとか、男の隠家的な店にかわり、奇妙なロシア料理屋やスナックバーとか小汚い焼肉屋の店が少なくなりつつあります。

でも売春婦がすうにん流し目ですれ違ったのは嬉しく、「そうでなければ…」と髪を束ね直したりするのでございました。
「あそびましょーよ」
「イイ女だねぇ」
「いっぱいイイことしてあげるよ」
「残念だね。いまシテきたばかでさぁ」
なんて妄想が再燃し、ふふふの大宮の夜は夏至を前に暮れそうで暮れないのでありました。

  1. ツタの絡まる建物の外観と 「のれん」が 何とも不釣り合いなお店で
    出される塩ラ-メンも今時珍しいくらいシンプル、それもグリンピ-ス入り
    いろんな物を寄せ集め、なんとなくバランスがとれているような コノお店に
    先生が惹かれるのも分るような気がします。
    ムッ、大宮の夜、このあと先生は何をされたのでしょう キィ—–

    ●十傳より→グリーンピースはガンの元とか。体がそれを排除しようとしたのか、帰りの電車の便所でブバッ!を二回ほど…。

  2. お世話になっております。

    なんか分かりますね、極端な例ですが、横浜黄金町、日ノ出町のかつての赤線エリア付近の場末の空間を思い出します。
    春の大岡川を歩いたらボンボリに赤い店がずらっと並び、ここは日本かよ!とビックリしたものですが、横浜市長が変わり一掃されて見る影もなくなりました。
    ちょっと昔まではそんな戦後からの匂いがありましたが。
    でも、諸行無常、戦争やらおきれば、てんやわんやでまた生活臭がするのでしょうね。

    ●十傳より→黄金町はいまでもヤバいのであります。が、洲崎はかつての名残が消えており…。戦後のドヤ街は、限りない解放感を感じますです、私メには。

    • お世話になっております。
      石川町駅の北側、寿町にありますよね、ドヤ街。
      昔、早朝、タクシーにのったら運ちゃんが田舎者で迷い込み、ガラス越しに光景をみましたが、朝から街中で2メートルぐらいの炎が上がっていて、ビルは一階を板で2段構成にして無理やりカプセルホテル化し、歩く人はゾンビかと。バイオハザードの世界に感じました。
      確かにあそこで怪しまれず溶け込めば仙人も夢ではありませね。
      しかし、横浜の裏側は未だディープです。

      ●十傳より→かつての上野界隈もまた汚れて荒んだ魅力的なスポットでありました。