2014
12.16

その気になれば、いつだって飲めるのだぞ、と窓辺にヘネシーを置いております。

十傳スクールの名物漢からの差し入れで、「講義中にどーぞ」というものでございました。
ケーキにひたせば美味しいと言ったために、皆様にもケーキを一切れずつ配給していただき、奇門遁甲最終回の講義は、その間、和んだものでございました。

「いつでも飲めるのだ」
私メは横目でチラチラと眺めつつ、「いつ飲むのだろうか」とささやかな近未来の情景を空想しつつ、せっせとPCのボードを叩くのでありました。

クリスマスの近づく…というよりも陽遁が開始されるまでのこの頃は人々の心がちぢに乱れるようでありまして、数々の文句のようなメールが送られるのも、毎年、この時期の特徴といえば特徴、風物詩でありましょう。
「ああ、私メは人々のゴミ箱なのであろうか」
と、それはそれで味のある感情でございます。

男たちに申したいのでございますが、こういったメールにいちいち対応してはいけませんですよ。「はいはい、いかにも、いかにも」と肯定するか、あるいは無視を決め込むことが大切なのであります。
すべては陽遁開始までのお女性たちの行事なのでございますから。

文句メールは、裏返せば、それだけ心を開いてくれているという証。ここで自説を展開するほど愚かしいものはございませぬ。
美しい蝶は、油断させておいて、いきなり捕まえるのが上策というものであります。

さーて、ヘネシーを一杯だけ喉に流し込むといたしますか。