2016
09.06

台風で100人が孤立したとかニュースで騒いでおりましたが、100人が孤立するなど、ニューギニアの敗残兵ならいざ知らず、バカかと思っておりました。

そしたらば、岩泉の大多数の原住民が救援を拒否し、部落に残っている由、今年一番の心温まる出来事でありました。

癒すとか絆とか、そういう身の毛もよだつ言葉が氾濫している中で、
「オラホは食い物もあるし、暗くなったら寝たらイイし…」と、これぞ、まつろわぬ民族。心から拍手を送りたいのであります。

最初のイタリア旅行を思い出すのでありました。
水浸しの真冬のベネチアであります。
中国のためにエルニーニョ現象となり、そこに大雨が降って、街の中は膝まで達する旺水となったのであります。

ところが、泡を食って逃げ惑うのは日本人の団体客。
脱いだ靴とバッグを頭にかかげ、一列になって添乗員のあとを死刑囚のように。片手には雨傘。バカ者。恥を知れ。恐山の三途の川の橋を渡るツアーではないか。

現地の人は、水に浸りながら椅子に腰かけて、頭からずぶ濡れで、ワインで乾杯していたのであります。
私メも誘われてチンチンと乾杯。ドロッとした赤ワインに酩酊いたしました。

流れ着いた溶けかかったトイレットペーパーなどが脚に絡みついて、いささか不気味でありましたが。

岩泉の原住民も、山に入ってキノコだの、殺した熊や鹿を頬ばっているのでありましょう。傍らには白く醗酵したどぶろくがあるはずであります。
避難に応じたら蒸し暑い体育館に座らせられ配給の握り飯を食い、酒も飲めず、煙草も建物の隅に設置された糞臭い場所でしか吸えず、頼みもしないSMAPなどのイカサマボランティア音楽に拍手を強要され、「頑張って」とか「諦めないで」などと肩など叩かれるのが関の山でございます。これらは国とかが我々を管理しようとする権力なのであります。個人ナンバーを振って、さて、これからは意識まで支配しようとするところなのであります。

誰にも頼らずに、おのれの力で生きることは素晴らしいのであります。
もともと岩泉は陸の孤島。いまさら救いの手など迷惑で、オショシイばかりでございましょう。
人は一人では生きられないなどという手あかのついた暗示を覆す必要もありますです。
原住民は叫びたい。
「うぬども、いますぐ、ココから立ち去れ、されかむな!」と。

私メも、一人で占いの道を切り開く所存であります。
いや、やはり生徒さんがいるから頑張れるのではありますけれど。
まだまだであります。