2016
09.22

忘れておりましたが、そーいえば私メは、かつて都内の立ち食い蕎麦屋を網羅したことがございますです。

立ち食い蕎麦屋と、ひとくちに申しましても、色々でありまして、出汁から麺は言うに及ばず、お金の支払い方にもいくつかの種類があったものでございます。

食券を買うなんてことは最近でして、注文といっしょに代金を支払うので通例でありました。あるいは蕎麦を出されたのと引き換えに支払うか。後払いはあまりございませんでした。

あるとき、260円のコロッケ蕎麦(いまは400円ほどでありますが)が食いたいのに、250円しかなくて、「10円負けてくれませんか」と頼んだら、冷たく拒否された経験を思い出しましたです。

酒を飲んだ後は、タヌキうどんでありましょうか。
適量の酒量の時は、胃袋が充実いたします。
「ああ、これがしやわせというものだ」
と火炎土燥の命の私メに、ナサケという雨が降りそそぐほどに、心優しくなるのでございます。

関西ではたぬきといえば、カタクリをまわしてとろみをつけたヤツでしょうか。生姜などを効かせたヤツ。

しかし、最近の立ち食い蕎麦はチェーン店がほとんどで個人でやっているところを発見するのは至難でございます。

私メが参りましたのも、チェーン店でありましょう。茅ヶ崎の北口のすぐのところにある店でして、味はたいしたことはございません。

発作的に食いたくなっただけの話。

神楽坂の矢来口にある店は、純粋な意味の立ち食い蕎麦ではないのですが、個人経営で、若い美人ちゃんがやっておりまして、薄口のお上品なお味のうどんを出してくれるのであります。お値段も貧乏人には無理であります。なにしろ素うどんで450円もいたしますから。

あとは神田の西口商店街にある店もなかなかであります。
十傳スクールの前に立ち寄ったりいたしますが、東南アジアのお女性が、私メを「貧乏そうなジジイだこと」憐れんだのか、網に茹で残った麺までどっさり入れてくれ、そこにかき揚げもサービスしてくれましたので、大盛りは嬉しかったのでありますが、出汁がすくなくて往生いたしましたです。
東南アジアのお女性は欠けた歯でニッと笑うのでありました。

人間も本当は様々でございましょう。
けれど、しだいにチェーン店のように、定型化したお方が増えているのは、これも時代なのでありましょーか。
本もTVも、人権という名のもとに自己規制されて、さっぱり面白くないし、原稿の作成にも熱がはいりませぬ。