2020
06.10

通りから、ひとつはいった松のしげる道を南に向かうと、そこは海なのであります。

梅雨入り直前の海を眺めよーと思ったのは、庭の花々がおわり紫陽花に代わったからでございましょーか。梅雨が明ければ、夏の花一色。海の気配もまた夏の盛りのまえの恥じらいの色を見せているはずでございます。

今年の夏は、疫病の影響で、海開きはなし。海の家もなし。海祭りもなし。監視員もなし。
湘南は江戸時代のあたりでも、江ノ島などは夏は賑わっている様子が浮世絵で残されておりますから、何もない海というのは、めずらしくも貴重なのかもしれません。

「海は荒れるだろう」
と言うのが地元民の予測でございます。

つまり、浜にはサーファーの縄張りがございまして、辻堂海岸のサーファーが菱沼海岸に進出すると、そこに火花が散るのでございます。サーファーという奴らは一人残らずおサルでございまして、スキーヤーとかゴルファーと比べて、お金がかからないのであります。腹が減ったら密猟をすればイイのでありますから。夜ともなれば近くのスナックでマリファナを楽しんでいるのでございます。

そういう輩が、この夏の湘南海岸一帯を闊歩いたします。
テトラの底に、ネズミやらカニなどに喰われた死体が腐乱しているかもしれない。

これが地元民の共通した思いでありましょーか。

古い冷蔵庫や布団が投げ捨てられ、コンドームが散乱し、空き缶や空瓶、煙草の吸殻、エロ本や下着が風になびいている風景が予見できるのでございます。

無法地帯と化した海岸は、それはそれで美しいのでございます。ホッとするのでございます。

昭和の時代のTVや映画を観ていると、なにか違和感を覚えるのは、道路がバカにキレイだということでございます。あの頃の道路は、吸い殻や新聞紙などで汚れていたものであります。釘や画鋲で、自転車のタイヤがバンクした記憶がございます。

画面からは、それらの風物詩が一切切り捨てられ、チリ一つない不気味な清潔感。

梅雨明けの海が待ち遠しいのであります。マスクがクラゲのように漂う海が広がっていることでございましょう。