07.22
(仮稼働中)
五輪が始まる前に、郷里のモリオカに戻るつもりでありました。
ところが、急を告げる相談者が多くあつまり、退避の日を繰り延べております。
左の画像は、魂入り小箱(命名は私メであります)でありまして、数年前に、十傳セミナーで『呪術』を講義した時の、最終日のお仕舞あたりに紹介した類の、アルミホイールを内包した手作りのモノなのでございます。
小箱に金紙を張るところからの家内手工業。
先にも申し上げましたが、病占が極端に増えているのであります。
精神的なモノから癌まで。
病院にいくべき相談でありまして、むろん医者にかかっているお方がほとんどでございますから、易者としては、占いや呪術の方面でのアプローチとなるのであります。
病人には、強い「気」はむしろ危険なのであります。
指圧などでも、老人や病人に対する施術は、健常なお方とは、力の入れ具合から違うよーに、呪術もまた同様。
小箱の中に造作物を入れまして、それをアルミホイールで包み、ご本人の爪などを入りまして、最後に蓋をしめますです。
蓋を閉めたら、もう二度と開けてはいけませぬ。
だから「魂入り小箱」なのでございます。
相談者の中には、
「おおっ!」
驚く命式というか大運と年運が、かくも絶妙に絡むのか…とゾクゾクする運命のお持ちの方もございます。
この場合の絶妙とは悪いケースのことを差します。
原命式が干合し、それが化格となり、さらに大運で別の干が化格を形成し、年運に脅かされ大変な危険な状態を告げるという、命式。
だからこそ、
「絶対に延命するぞ!」
とゾクゾクするわけであります。
じつは、私メの老母も、大病した際に、この「魂入り小箱」を用いました。
私メに逆らったとき、
「魂入り小箱を開けてもイイのだな」
心に呟いたりするのでございます。
そーしましたら、大きな建物が取り壊され、更地に変わっておりました。
どこにでも、よくある変化でありましょう。
ココに住んでいた人たちは、以後、記憶の中で思い出を語り合うことになったのであります。
しかし、それはある意味、しやわせなのかもしれません。
むかし新宿の大久保に住んだことがあり、そのアパートはまだ健在であります。
懐かしさのあまり、懐かしい鉄の階段をのぼり、つきあたりの部屋のドアの前にたたずみました。
すりガラスを通して現住民の食器だの洗剤だのが並んでおりました。
ドアは先住民だった私メに冷たいのでありました。
卒業した母校を再訪した時に感じる空虚さと通じるものがございます。
「奪われた…」
そんな思いなのであります。
ただひとつ、忘れていた当時の知り合いの名前が、上から下まですらすらと思い出されたことくらいでありましょーか。
更地を遠望しながら各地に散っていっただろう住民たちに思いをはせよーとしましたが、なにしろ知り合いでもないし、私メにとっては通りすがりの風景に過ぎなかったことをあらためて納得させられただけなのでございました。
ここで、笑ったり、怒ったり、希望を感じたり、絶望に陥ったり、ご飯を喰ったり、キスをしたり、叩いたり、そういう人間の平凡な日常が、時という風に吹かれただけのことでありましょう。
やがて建物が立ち、次々に入所者が集まり、でもそれも50年もすれば失われるのでございます。
「未来」
と言ってみたかったです。
「未来、未来」
ふと、五輪から退避し郷里に戻ったら、
「被災地に行ってみっぺかな」
急造の馴染まない新しい町に立ったら、
「未来」
と言えるかもしれませんです。
風に消されるかもしれませんが。