07.18
最後の友達が死んでから、もう7年も経つのであります。
モリオカに戻ったときは、時間を作って墓前に、タバコを供する習慣が出来ておりますです。
モリオカの老舗の三代目。
三代目にして、家業の金物屋を潰してしまったことに、口には出しませんでしたが、相当のストレスを抱えていたよーであります。
それで、癌が発見されても、癌治療を拒絶して、最後は歩行も困難となり、半年で死んだのであります。
自分の死亡保険金によって、息子の代で家業を再建したと知ったのは、ずいぶん経ってからのことでございました。
「もう少し、頑張ってみよーと思うのさ」
タバコをくゆらしつつ、
「んでば、また来る」
彼の命日はもうすぐであります。
肴町のアーケード街の途中で別れたのが、最後でありました。
それは中学の頃に、いつも「んでば、まだ」と手を振る一画でございました。
生きていれば、令和の地獄を、どのよーに語るのだろーかと、彼の命式や、記憶などを総動員して、想像するのですが、上手くいきません。
私メと違い、祭りや、にぎやかなパーティーを好む男でしたから、
「はえぐコロナが終息すればイイぬぁ」
と語ったはずであります。
そして、そんな男がなぜ、すべての祭典に対して否定的な私メと付き合っていたのか。
もしかすると、当時の私メは素直な純真な少年だったのかもしれません。
いやいや、そんなはずはございません。
県の運動大会の時、1500Мに私メたち二人は、不幸にも選ばれたのであります。
当日、いよいよ出番が間近に迫ったとき、
「フケるべ」
ということになり無断でボイコットを決め、自転車で逃げました。
青山町の運動公園に「〇〇中学のサイトー君、オノ君、スタートラインに集まってください」のアナウンスがとどろいておりました。
彼の死の、ちょうど1年前、ふたりで酒を飲んでいましたら、彼が唐突もなく、
「あのこと、みんなに告白しねか?」
切り出しました。
「まだ早ぇべや」
あのこととは中学に警察が入り込んで調査された事件のことでございます。
下手人は、我々でございました。(窃盗とか痴漢行為ではございません)
仏心を起こした彼は、どこかで死の胞子が発生していたのでしょーか。
夏は、死人の思い出に耽るのが似合っております。
時代はさらに炎のない、地獄の烈火に燃えるでありましょう。
逃げ切れるか。
占いという非常識な武器で、逃げ馬のよーに、どこまで逃げ切れるのか。