2021
07.20
07.20
そーしましたら、大きな建物が取り壊され、更地に変わっておりました。
どこにでも、よくある変化でありましょう。
ココに住んでいた人たちは、以後、記憶の中で思い出を語り合うことになったのであります。
しかし、それはある意味、しやわせなのかもしれません。
むかし新宿の大久保に住んだことがあり、そのアパートはまだ健在であります。
懐かしさのあまり、懐かしい鉄の階段をのぼり、つきあたりの部屋のドアの前にたたずみました。
すりガラスを通して現住民の食器だの洗剤だのが並んでおりました。
ドアは先住民だった私メに冷たいのでありました。
卒業した母校を再訪した時に感じる空虚さと通じるものがございます。
「奪われた…」
そんな思いなのであります。
ただひとつ、忘れていた当時の知り合いの名前が、上から下まですらすらと思い出されたことくらいでありましょーか。
更地を遠望しながら各地に散っていっただろう住民たちに思いをはせよーとしましたが、なにしろ知り合いでもないし、私メにとっては通りすがりの風景に過ぎなかったことをあらためて納得させられただけなのでございました。
ここで、笑ったり、怒ったり、希望を感じたり、絶望に陥ったり、ご飯を喰ったり、キスをしたり、叩いたり、そういう人間の平凡な日常が、時という風に吹かれただけのことでありましょう。
やがて建物が立ち、次々に入所者が集まり、でもそれも50年もすれば失われるのでございます。
「未来」
と言ってみたかったです。
「未来、未来」
ふと、五輪から退避し郷里に戻ったら、
「被災地に行ってみっぺかな」
急造の馴染まない新しい町に立ったら、
「未来」
と言えるかもしれませんです。
風に消されるかもしれませんが。