2024
09.02
09.02
モリオカに滞在中に、関東で地震があったみたいで、茅ケ崎の自室の本箱の陰に、その地震の被害を見つけましたです。
マリア様でございます。
べつにキリスト教患者ではございません。
オブジェとして、近くの教会で買い認めたマリア像を飾っていたのであります。
頭部だけがキレイに割れており、そのために、むしろ神々しさが生まれたのでありました。
表情がイイ感じに生きているのであります。
割れたままにしようと思います。
壊れたことによって、はじめて生き始めることは少なくございません。
恋なども、その一つであります。
何十年も前の、本日、私メは1歳年下のお女性と、夜汽車に乗っておりました。
ひと言も会話しませんでした。
列車は上野を発車し、大宮、仙台と通過しましたが、会話はなし。
ある事件をおこした私たちは、東京からモリオカまで強制的に戻されていたのでありました。
喋りたいこと、謝りたいこと、ジョーク、その気持ちはたくさんあるのに、もう喋ることはないのでありました。
壊れた恋の断片は、その欠片がダイヤモンドのよーに、いまでも思い出されます。
最後のお女性の言葉も。
「女心を勉強した方がいいよ」
おそらく壊れたマリア像は、首のないまま、長く祀られそうであります。
割れてしまった仏像などはお焚き上げなどせずに保管した方がいいのでしょうか?
●十傳より→私メならそーいたします。役に立たなくなったからと、すぐに処分する冷たい態度の方が危険かも。
その方のことを
急に思い出されて
会いたくて
たまらない気持ちになること
ございますか…
●十傳より→ございますです。が、それは躊躇いの気持ちと同居しております。
giulio CacciniのAve Mariaと言われていたVATILOVの作品。
貧困と癌に侵されて
ひついの中で死んでいったvavilov。
美しくも悲しいメロディーが頭の中で静かに鳴り響き
マリア像の姿は才能があってもこの世では報われなかったvavilovの人生と重なります。
●十傳より→神秘の物語は惹かれますですね。