2025
03.07
03.07
論語ではありませんが、もしも、占いの奥真を得たなら、明日に寿命が尽きても満足だと、ふと思ったりいたします。
死にそうな子供に、母親が自分の命と引き換えにしても、子供を死なせないで欲しいと願っているドラマを見たりしますが、そーなのかなと、どこかで納得したりいたします。
殺人鬼に恋人を殺されそーになったとき、自分を殺してイイから、恋人は助けてくれ、というのもドラマで取り扱われておりますです。
それが実際はどーかは真偽の限りではありませんが。
「んだんだ」と同情しつつ、ドラマが終わり我に返ると、さーてどーかなと首を傾げたり。
では愛犬ならどーだろう。
自分の命と引き換えに…とまではいくまい、と思いますです。
さー、そこでよく考えてみてください。
神様がいて、その神様から100億円貰えるとして、その代わり、寿命はあと10年と言われれたらどーしますか?
おそらく100億円を選ぶはずであります。
しかし、100億円と引き換えに、明日死ぬとなると、どーか。
人それぞれでありますが、多くは100億円を辞退するのではないかと。
明日の命を選ぶのではないでしょーか。
とすれば、10年の価値より、明日の価値が高いということになるやもしれません。
たまにそんなことを妄想しつつ、鑑定をしたりいたします。
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