2010
09.21

DSCN5611おもわず本の栞にしようかと思いました。

死んだ夏蝶は、道ばたすれすれに吹くかすかな風を集めて、羽根を震わせていました。

だからまだ生きているのかと思ったのでありますが、死んでいました。

どこにでもある、ありふれた死であります。

蝶にも心があるのなら、飛べなくなって、ひらひらと地面に力尽きたとき、どのように思ったのでしょう。

死という観念は人間特有のものでしょうが、蝶にも死の予感はあったはずです。

飛ばなくていいという解放感と、もう飛べないならば、自分は蝶としての役目が終わったという悲しみ。

画像にはありませんが、周囲にはたくさんの蝶が舞っていたのでありますす。

そんな仲間の蝶を仰ぎながら、力尽きた蝶は、夏のおわりを体で感じたのかもしれませんです。

それは恋の終わりにも通じているような気がしますです。

幾度も、恋の危険をくぐりぬけながら、

でも、こんどだけはお仕舞いになりそう…。なんて覚悟をきめたときのような。

氷の解けた汚れたグラスに残る紅茶を見つめながら、まわりにいる幸せそうな恋人たちを背中に感じて、やるせない思いにつかまってしまうわけですね。

この人には、自分が必要ではないのだ、
もともと恋なんてしていなかったんだ、

と、時間のたつのも忘れて戯れていた、つい昨日のことが、じっさいにはありもしなかった夢のように思えることがありますね。

この現実はほんとうではない。
だって日差しはこんなに眩しいのだから、なんてね。

目をつむり、そして目を開ける。
彼の指。知らない人のような指…。でも好きだった指。

視線をあげると襟元がみえ、喉が見え…。それ以上は見上げられない、限界です、って。
きっと笑っていないな、固い表情して、自分をみているのだろうな。

やっぱり、これが現実。
ほんとうの現実をみたくない。

かすんでいく視界のなかで、夏蝶は、恋の終わりにも似た、心の揮発をどうにもとめられない一瞬のとまどいを感じていたかもしれませんね。