09.10
私は易者であったことを、ハタと思い出しました。
そこで、それらしきカテゴリーを追加して、易者らしいところも披露しなければ…と思った次第であります。
私の研究しているテーマをちょっとだけご紹介します。
占いで日本史を読み説いてみる、というのがソレであります。
けっこう面白いのであります。
日本史で、謎とされていることが占いというフィルターを通してのぞくと、
「なぁーるほど」
と簡単に解けたりするのであります。
今回のテーマは日露戦争。
占いには方位術というものがありますです。
なかでも「奇門遁甲」はもっとも優れたものとして、三国志のむかしから戦いに用いられてきました。
日露戦争でも、この奇門遁甲を馳駆し日本が勝利した形跡がございます。
では――
乃木大将の愚略のために無数の兵士を殺してしまった二百三高地のある旅順に目を向けてみましょう。
この旅順は、世界地図でみればわかるように、京都―旅順―モスクワと東西の一直線で結ばれています。
もし旅順に奇門遁甲の「座山」を有効に使い、そこに「造作」を施せば、日本側には吉を、ロシア側には凶を作用を起こすことが可能だという判断が、占いの知識がある人なら理解できるはずです。
座山とは、動かずに効果を招く方法です。
造作とは、その効果を出すために、ある方位に所定のものを埋める方法です。
吉を呼ぶときには、花とか甘草、
凶を仕掛けるときには、錆びた釘などを埋めます。
たとえば隣の家の人に危害を加えたいならば、隣の家にとって悪い方位に、たくさんの錆びた釘を埋めればいいのです。
反対に、自分の家の良い方位にドライフラワーなんかを埋めると、楽に幸運をつかむことが可能です。
おそらく、日本側の占い師は、旅順に大砲や人の肉や血を埋めることで造作効果を高めようとしたのではないかと思います。
乃木大将が、旅順をなかなか落とせなかったのは、能力がないからではなく、そういう軍の作戦だったとしか考えられません。
旅順の地を鉄砲や人の血肉でみたすことで、ロシア革命を誘発しようとしたのです。
事実、ロシア革命が勃発し、それが日本の勝利におおきく影響しているのは歴史上の事実だし、だれもが認める事実でもありますです。
攻撃の記録を調べると、奇門遁甲にじつに忠実であることが分かるのでであります。
西の方位、つまりモスクワの方位への攻撃をみてみますと、
●明治37年9月20日→刑格
●同年10月30日→六儀撃刑
とまだまだあるけれど、面倒なので省略。
とにかくロシアに悪い方位を選んで突撃命令が出されては日本軍の兵士は大地を血で染めて死んでいったわけであります。
そして同年11月26日にロシア側が戦格という大凶の方位が回ってきた当日、総攻撃が開始されました。攻撃はなんと12月6日まで続いたのであります。
この間に乃木に代わって児玉源太郎が指揮をとり、12月5日に二百三高地を占領したのでありました。
これらの記録と奇門遁甲が恐ろしいほど適合するのは、もう偶然ではなく、じっさいに軍部には奇門遁甲の使い手がいたと考えられます。
それは誰なのか――
その人物を探る前に、次回は、日本海軍に目を向けることにいたします。
東郷平八郎 VS バルチック艦隊であります。
………疲れました。
真面目なことをブログに載せるという行為は疲れるものでありますね。
でも、十傳というヤツは、ボンヤリしているばかりでもないようだと思っていただけたでしょうか…。
思ってくれなくていいんですけどね。
たまには、こんなことも載せてみようという気になっただけのことかもです。