2014
02.23

久しぶりの慶事でありました。
うちつづく法事の連続。呪われた一族であるオノ家のおかげで葬式において誰にも負けない知識と段取りを身につけてまいりましたが、慶事となるとかえってまごついてしまうのであります。

麗しき式典が華麗に盛り上がると、これは不幸のイントロではあるまいかと、過去のおぞましい記憶がよみがえるのは、自然に身についた、不幸に対する用心の姿勢カモしれませぬ。

花婿よ、どうか酔っぱらったりせず、舞い上がったりせずに、式典をとどこおりなく済ませてほしいと思うのでございました。結婚式でべろべろに泥酔し、一年とちょっとで、発狂した叔父のことが、記憶から顔をのぞかせるからであります。

結婚式も知らぬうちにいろいろと工夫されておりまして、花婿花嫁が退場する際に、無数の鳥の羽を吹きあがり舞い降りさせる機械が揃えられ、ちとびっくり。
田舎者が都会に出た如き驚きなのでありました。

鳥の羽は、しかし幼き頃、家で鶏を飼っておりまして、その鶏小屋に猫が侵入した時にも、小屋の中は鶏の羽が乱舞していたのであります。反射的にそのことを思い出すのも、やはり葬式慣れしている証拠でありましょう。

会場を移しての披露宴は四時間以上にも及んだのでございます。
老母は孫の披露宴なのに、
「そろそろ飽たぁ」と車椅子にのせたむくんだ脚をもむのでありました。

すこし酷じゃありませんか、もっと祝ってあげたらいいのに、あんまり不吉な事は書かない方が…とお思いのお方がいるかもしれませぬね。

分かっております、重々に分かっておるのであります。

が、ここで「いがった、目出てがった。良き結婚式だった」とはUPできませぬ。
当ブログをご覧のお方に、もしも結婚式に対して面白からぬ感情を抱いている場合がございますです。いや、結婚に対する忸怩たる思いを胸に沈ませているお方は意外に多いのでありますです。

しやわせな時こそ、周囲への配慮が大切である。この姿勢の蓄積がやがては幸運へと導いてくれる基本かもしれませぬ。それを語りたかったのでございますが、どーもうまくいきませぬ。