2014
04.07

日々は砂のように流れていくのであります。

満開だった桜も、今日は路上を飾っております。風に吹かれて、花びらも明日になると忘れられてしまうことでございましょう。

うららかな春の日差しのなか仕事の合間の散歩でございますです。

貴重な時間であります。

もしも大きな悩みを抱えていたとしても、その悩みを考えても無駄なこともありますです。無駄なことに執着しすぎて、大切な時間を失うことは、さらに無駄を重ねることになりますです。

お金のこと、恋のこと、病気や仕事や家族のこと。この世に悩みの種は尽きませぬ。
そしてほとんど自分の力では動かしがたいのであります。

なんでもない小径。
でも、舗装されていない小径が、いまの時代にいかほど残っておりますでしょう。岩よりは柔らかく、女体の肌よりは固い土の弾力が踝に心地よいのでございます。

不思議な「気」が包んでくれているような感じでございました。

小径の終わりで、私メは束の間、何も考えていなかったことに気付くのでありました。

十傳スクールの春組の一回目の講義が終えた翌日で、すこし疲れているのかもしれませぬ。

賢そうな男子や、初々しいお女性に囲まれて、このうえもなくしやわせでございました。

明晩は夜間コース。週末は断易と奇門遁甲の六時間ぶっ通しの講義であります。

暖房も冷房も不要な、一年に数日もない貴重な時間の本日の散歩なのでありました。

2014
04.05

こころなしか、今年の桜の花びらの色が薄いようであります。

愛でる時期を逃したこともありましょうが、いつになく寂しい色なのでございますです。

人相で美人から生まれた子どもは、どことなく華がないと言われておりますですが、桜もまた、美味しいさくらんぼうはソメイヨシノではないところが、易者の興味を惹くのでありました。

運命学の目的は、人の幸福追求であることが究極でありまして、しかし、それは宗教でいう幸福ではありませぬ。

宗教は、それが仏教であれ、耶蘇であれ、諦観に基づいておりますです。
「足ることを知れ」というわけで、あらゆる欲望からの解脱を、諦観によって為さしめるわけであります。

貧乏も天のご意志、病気も、死も神のご意志と諦めるのでございます。

が、運命学の幸福論はちと異なりますです。
四柱推命も奇門遁甲も、それから色々な占いも、その占いを用いることによって幸福を現実のものにするのでございます。

病気になり、「これも天の定め」と諦めるのはご本人の勝手でありますですが、病気が家族や周囲に広がっても、それが果たしてしやわせなのかどうか。
運命学は、この諦観に対して敢然と背くのでございますです。

満開になる種子が日陰で芽を出して、それでも「与えられた場所で咲きなさい」と諭されても諦められるでしょうか。
自分は「良きお言葉だ」と感動し、しょぼい花を咲かせ自己満足に浸ったとしても、次の花も、また次の次の年に咲く花も、与えられた場所で咲かなければならないという、その子孫に対する責任はどーなるのでありましょうか。

財産はお金ではなく、自分のカラダなのだということも運命学の基本であります。
浪費とは自分のカラダを粗末にすること。ソレなのであります。
「あなたは浪費家の相が出ています」と言われたら、それはお金を無駄に使うことではありませぬ。お金を増やすには、チャンス時にお金を無駄に使うことが条件なのでありますから、お金の無駄遣いは、お金持ちになるための準備とも申せましょう。
本当の意味の浪費は、カラダを粗末にすることを指すのであります。

でありますから、満開に咲く花の種子を持ちながら、悪い環境で諦めるのは、これは悪に近い浪費でございます。

ちと書きすぎましたですね。

明日から、奇門遁甲春組のスタート。
頭の中が、講義に備えて運命学に染まっているようでございます。

2014
04.03

以前、当ブログでご紹介した「タイムトンネル」のDVDの第二集が届いたのでありました。

中学の頃に夢中で見たドラマでありまして、第一集は二日間で見終えましたけれど、今回のはどーなることやら。

なにしろ原稿の仕事がゴチャッとありまして、寸刻みに作成しないと7月の出版に遅れるのであります。

しかも、その原稿は「奇門遁甲入門」ほどの厚さとなるかもしれず、学研の占いの専門書であることも加わり、手抜きはできませぬ。

昨日、やっと600以上の項目出しを終え、サンプル原稿も通りましたから、いよいよなのであります。

その矢先の「タイムトンネル」…。

お女性とのお遊びをオアズケにするか、ここは思案のしどころでございますです。

今週と来週は十傳スクールもありますしなぁ。