2016
04.17
04.17
普通、初日は基本事項の講義なので、それほど疲れないものでありますが、断易はショッパナに乗り越えなければならない壁が立ちはだかっております。
師範候補生の水杜先生に手伝っていただき、なんとかクリアしたのではないかと思っております。
断易をマスターするには、その壁もそうでありますが、姿勢も重大なのであります。
重大な姿勢とは、自分の心の中に住んでいる天使と悪魔の両方を認めることなのであります。
たとえば「避被災者は可愛そうだ、手助けしたい」が天使の声だとすると、「ざまぁみろ」が悪魔の声であります。
言葉に出すと周囲に眉をひそめられたり、「訴えてやるかな」と恫喝される種類のモノだとしても、そういう悪魔がいることを認めなければ断易は何年やってもダメでありましょう。
まぁ、だから易者は白眼視される存在なのかもですね。
しかし、当たり前の良識だけを言いたいのであれば坊主や神父にでもなって、朝から晩まで念仏を唱えていればイイのであります。
人々は不幸を求めているのであります。
「なにか面白いことはないか」と平和に飽きてしまうのであります。面白いことは他人の不幸なのであります。
そして、それがナマの人間であります。
天使と悪魔の双方を認めることによって、断易によって、起こり得る様々な事象を的中させることが可能になるのです。
などということを初等科のはじめの言葉に置き、六時間講義をスタートしたのでありました。
とにかく暑かったのでありました。汗だくであります。