2016
04.21

6月で十傳スクールも、ひとつのサイクルが終了します。
現在、初等科などを受講なさっている方には関わりがありませんが、私メとしては、遁甲についても、四柱推命についても、断易についても教えられたことはだいたい伝えたことになるのであります。

が、本当はココからなのであります。
教えられたことを土台として、日々の実占において記録し、確証を得たことをノートにまとめており、そして発見した占いのツボ。それらの公開をどーするか。
考えどころなのであります。

二十年ほど前のこと、学研から発行していたエルフィンという占い雑誌があり、著者たちが年に二回ほど集まっていた良き時代がありました。
そこで私メは先輩諸氏のお話に感動し、感銘を受けていたものでありす。
現在、その先輩諸氏の先生たちは没し、新しい世代へと世代が交代しております。とっくにエルフィンは廃刊とそういう会合はございません。

しかし、私メは感じてしまうのであります。
深いところの占いの魂が消えかかっていることを。
占いを伝える側が優しくなったせいなのか、先輩諸氏が沈黙して伝えなかったのかは分かりませぬ。
程度の低い占いと申せば語弊がありましょうか。
いやそれ以前に、易者が自分の占いに自信を持っていないのであります。

自信のない占いをするということは、自分の商品がまやかしだということであります。

講義で、私メは占いの当て方を、各自の人生を省みて、それらを混ぜ合わせて判断するようにと申しております。

でも、それでも足らないのであります。

赤い表紙にしてまとめ、そしてこれからも増えるだろう「秘伝」の数々を、簡単に教えて良いのか。これに頭を悩ませているのであります。

古来「一子相伝」という言葉がございます。
この四文字のもつ重さをしみじみと感じているのでごさいます。
私メの考えと異なる考え方をする人たちにペラペラと教えて良いものかと…。
私メしか知らない「秘伝」なわけですから、自分の自由にしていいのではありますけれど。情とを区切る時がきたのでありましょうか。

十傳スクール第2ステージの構想を、モリオカで考えることにいたしますです。