2016
12.01
12.01
近くに住んでいた時は、しょっちゅう通っていたのですが、引っ越してしまうと、とたんに他人の街になり、足が遠のくのでありました。
新宿大久保界隈。
20代の住処でございました。
まだ朝鮮人の街ではなく、ホステスさんのねぐらとして、素晴らしい環境でございました。
夜明けなど、子犬を連れたシースルーの薄い紫色のネグリジェを来たホステスさんが散歩していて風情がありました。
部屋の三方は隣のアパートと密接していて、窓を開けると肉地獄の展開を目の当たりに出来ましたです。
街は、かつての名残をわずかにとどめながら変貌いたします。
愛憎の本質は、街というステージがリニューアルされても、同じ形で繰り返されるのでございましょう。
40年前に誰かがついた嬌声や悪態を、いまも、別の誰かが同じように発していることでありましょう。
濁情は遺伝しないはずなのに。
この街に、年に一度用事がございまして、今年も趣きました。
昨年も、一昨年も、その前の年も。
そーして、この便所で小便をたれるのでございます。
たれたくなくても、不思議と尿意をもよおすのでございます。
あれはいつのことだったのかなと、ふとリアルに当時のお女性との細々を思い出すのも、年に一度のならわしでございます。
伊勢一というスーパーの小道をはさんだ隣に、松屋という老姉妹がやっている、それは見事に不味いカレー屋があったことも、匂いまで鮮やかに蘇るのでございます。
まさか、自分が易者となっていよーとは。
なんだか可笑しくなってくるのでした。