04.02
歌い手たちのポスターは、どことなくうら悲しいものであります。
才能に翻弄された人生かもしれませぬ。
なまじっか歌が上手いばかりに、そしてチャレンジして、たとえばのど自慢で合格の鐘を貰ったばかりに、あるいは学生時代の学園祭で歌い、拍手喝さいを得たばかりに、歌い手の道を選ぶことになるわけでありましょう。
紅白歌合戦に出場するのは、小説家でいえば、新人賞をもらうよーな光栄なのかもしれませぬ。
銀座の飲み屋に通ってた頃、年老いた流しの歌い手と知り合いになりましたです。
「お金があればねぇ、若い頃にさ」
老流しはこぼしておりました。
昭和30年代に歌手を目指して上京し、三橋美智也に弟子入りしよーとしたそーであります。
「でもね、弟子になるには250万円が必要だったんだよ、当時の250万円だよ」
いまの価値だとどれほどでしょうか。
「お前は歌手に向いていないから、諦めな」
そういう意味で、膨大なお金を提示したのかもしれませぬ。
かと思うと、10代で、すでに終わってしまった歌い手も多く存在するのでございます。
それなりの苦労や努力はあったにせよ、トントン拍子に運に乗り、華やかなスポットライトを浴びるスターに上り詰め、ところが数年で落ち目街道まっしぐら…。
なにも歌い手に限ったことではございませぬ。
すべての人生に当てはまるのであります。
そして、その運の波は、驚くほど四柱推命の大運とリンクしていることに目を見張らされるのであります。
またはこういうこともございます。
同じ才能を持ち合わせながら…つまり似たような運勢を搭載しながら、運がヒットする人としない人。
努力とかそういう人為的な頑張りでは説明がつかない現象が、この世にはたしかにあるのであります。
「時代の流れに乗ればイイのだ」
「いやいや、自分の個性を磨くことだけがヒットする方法なのだ」
「とにかくハッタリが上手いヤツが成功するのさ」
など意見はさまざまでございましょう。
しかし、自分をいかに変えようとも、実力をつけようとも、要領が良くたって、運命の振幅を知らない限り、成功の女神は微笑んではくれませぬ。
おそらく成功者は、知っているのであります。
「すべては運だ」と。
が、それを語ってしまうと他人に成功を奪われる危険がありますです。
また、真剣に「運なのだ!」と力説しても、成功しない人は運を認めないという皮肉も存在するのでありますです。
ある会社に招かれた時、
「〇〇社の商品がはやるのはどうしてでしょうか。ネーミングでしょうか、やはり」
と意見を求められ、
私メは反射的に答えましたです。
「運です」
と。
以後、二度と招かれることはなく、いつの間にか、その会社もなくなりましたです。
アーメン。