2018
08.11

変化しない方が可笑しい訳でありますが、私メの知っている横浜の桜木町駅は、構内に展示されている「想い出の桜木町駅」の写真パネルでしか見ることができませぬ。

当時、そうですね、1970年代後半から1980年代前半にかけての桜木町駅は、古臭く、運河からのどぶ臭い匂いにつつまれた駅でありました。

いまの桜木町駅からは想像できないほど鄙びていて「桜木町かぁ」とか山下町と関内とかと比べると軽蔑の対象でありました。

たとえば、いまでも元町と中華街を結ぶ裏道がございますが、当時の桜木町を懐かしむよすがとなっておりますです。

京都だって変わっているのですから、国際都市ヨコハマは、これからもダイナミックに変幻していくことは当然のことでありましょう。
過去の姿を求め、そこにしがみつき、変化したことに腹を立てても仕方のないことかもしれませぬが、そういう頑固者を嫌いではありませぬ。
嫌いではありませぬが、自分もそーなりたいかと言えば、新しい流行追いになってしまうに違いないと思うだけでありますです。

明治に時代が変わったころ、「我が町には鉄道は不要ですから」と駅の設置を拒んだとかいう丹波笹山は今なおイニシエの風情を残し、それはそれで味わい深いスポットとして旅行客につかの間の安楽を提供してはおりますが、自分がそーなりたいかと言えば、けっしてそーはならないでありましょう。

場所のことを言っているのではありませぬ。

占いで、中国の皇帝たちの生年月日を研究するよりは、いま生きている人たち…芸能人とかではなく、リアルに生きている人たちの命式を解明していくことの方がよほど実になるのだと思うのであります。
断易でも、卜筮正宗の十八問答にある、百姓の水争いよりも、いまの時代の事業家の競争の占例の方が役立つと思うのであります。

街が変幻するのであれば、人も変わりますです。どのように変わろうとも芯の部分は残り、そこから新しい占いの解釈がなされるのでして、そのためには生臭い実例をご紹介することになるのであります。
占いは学問ではなく、成功するための道具であると私メは確信しておりますです。

情報情報と大騒ぎし、その情報に振り回されている現状を、占いと言う別の角度から切り込む道具を使って整理していけば、変幻する時代の中で実相らしきものを見ることが可能になるのでございます。

横浜も、これからはモリオカと同じく、ヨコハマと記したいと思いますです。