2018
08.25

法事の途中から、席を離れ、お寺の境内のベンチに座っておりました。

昨夜からの雨が気まぐれに地面を叩きつけては、かと思うと太陽がカッと照り付けるのでございます。

年下の住職の法話をきくより、水たまりの逆さまの世界を覗いていた方が心が休まるのでございました。
青空の底はコンクリートだと知ってはいても、映し出される鮮やかな青は、偽りであるからこそ美しいのでございました。

ローマの地下遺跡を発見したとたんに外気に触れて、見る間に、美しい壁画がただの岩くれに戻っていくフェリーニの描く映画のよーでございます。

もしかすると現実の世界に飽き飽きしているから、マボロシが鮮やかに感じられるのかもしれませんですね。

TVも嘘、ドラマも嘘、坊主の話も嘘、弱者救済など嘘の嘘、政治も何もかもが嘘。恋愛も嘘、スポーツも嘘、ギャンブルも嘘。
嘘、嘘、嘘。

だから世間から胡散臭い扱いを受けている占いに傾倒しているのかもしれませんです。
科学的根拠もなく、学際性もなく、非常識極まりない占いの原則から人間の本質に迫ろーとする愚かしさに魅せられているのでありましょう。

占いも呪術も、だからこそ弱者のために存在しているのであります。

常識にすがっても絶望だけしか残ってしまう人たち、どんなに金銭的に恵まれ、社会的に成功している人だとて、最後の最後には絶望し、川の流れを見下ろすことになるのであります。

五行理論、十干相互の関係、方位、そして十二支による相生相剋、合冲などの、常識からみれば腹を抱えて笑いたくなる理論が、怖ろしく輝いて見えるのは、てちど地獄を見たものでなければ分かりますまい。そして、その理論から、ふたたび現実を眺めると、常識では超えられなかったハードルを軽々とクリア出来たりいたしますです。

「オノくんを占いから救おう!」
とかつて、私メを救済しよーとお節介を企てていた人たちが、「ねぇねぇ、部下が反乱を起こしているんだけど」と悩みを耳打ちしてくるのであります。
「そういう時にはね……」
非常識な理論で一発解決することも少なくございませぬ。

境内は、ときおり雨脚が水たまりを濁し、また太陽が顔を出すのでありました。

雲が信じられぬ速度で大空を西から東へと動いておりました。