2019
05.06

見よ、この老人の群れを!
老いぼれどもが待ちに待った、年に一度の演芸会なのであります。

ドサ周りの演歌歌手が、茅ヶ崎の神社の境内で、罵声という洗礼を浴びせられにやってきたのであります。

老人たちは、みな一杯ひっかけて、熟柿臭さで境内を汚しておるのであります。

例年、口の悪い湘南の不良老人たちに、神社も手を焼くのでありましょーか。
なにしろ、ネエちゃん歌手が歌い出すと、そこかしこから、ガンバレー! の声援に混じり、
「脱げ―!」
の声。
それが伝播し、最後には、
「殺せー!」
「剥け!」(?)
の罵声へと統一されるのでありますから。

神社では「そろそろ、ヤバいのでは」と、策をめぐらし、突如として電源が落ちたことにして、盛り上がりを妨げたりいたします。
神社側の年寄りは、「待て待て、電気がつくまで、俺の禿げ頭でも見てろよ!」とジョークのつもりでセーブするのですが、
「ひっこめ、体制派!」
と、ふむふむ、なるほど団塊の世代が老人になったことの証左でござましょうか。体制派、民衆、○×レーニン主義…。

私メも、十傳スクールから駆け付け、フラフラに疲れているはずなのに
「闘争勝利!」とやりましたらば、となりの老人が「ふむふむ」とチラリと視線を送るのでした。
なので、「うるせぇ、コロスぞ!」と返すのであります。仲間意識などございませぬ。それに私メは無念にも、学生運動の流行が去ってからの者でございます。悔しさと羨ましさをいまでも持っております。学生運動を経験した先輩方には敵意をもって、その感情を晴らすのであります。

罵声は、また、じつは古来、魔除けの意味がございますです。
たとえば、平泉の冬の名物である『延年の舞』ではお堂の周りを罵声する者が取り囲む風習がございます。

が、それは、勿論口実。電源が修復すると、
このよーな可愛子ちゃんに、たまらず、「素っ裸、素っ裸、素っ裸」と罵声のウェーブは湘南の海の波のように止まらなくなるのでございます。
そして、「そーなんだ、そーなんだ、そーなんだ」と続くのであります。そーなんだと、湘南、そーなんだと冗談だ、売れない歌手よ、可愛、そーなんだという愛の掛詞。その心が届くわけもなく、届きたいとも、誰も思ってはおりませんです。
男の歌手には、そんな高い場所から、偉、そーなんだ!と牙を剥き、「おめえより、さっきのネエちゃんを出せー!」

「戦争しろー!」
「首を吊れ!」
「やっばり、おめぇも脱げ!」
後ろの立ち見のチビの老いぼれは、「見ぇねぇぞ」とジャンプをしては、なにやら投げつけている始末。境内の砂利でありました。
それには前にいた老人も怒り、「何をする!」とチビ老いぼれの襟首を掴むのであります。
と、車いすの老人が、「やれー!、殺してしまえ!」と腰を浮かすのでありました。
興奮のあまり、煙草を吸うもの、手水に立小便を放つもの、関係ない者同士がヘッドロックをし合っているのでありました。

私メも「薩長を潰せ!竜馬を殺せー!西郷の墓をバラせ!松陰を打ち首にしろ!」と、ちと無関係な怒声を声を限りにあげるでありました。

不思議なことですが、とても不思議ではありますが、誰一人、「朝鮮人を殺せ!」とが鳴る者がいないのであります。やはり、純粋な魔除けの風習が残っているのでありましょーか。湘南という地は面白いところでして、よそ者を迎え入れはいたしますが、桑田や加山は完全無視という、いびつな度量の深さがこざいます。
そして演歌歌手も泣き出す者もおらず、むしろガッツポーズを取ったりして、奇妙な温かさが、その場を包んでいたのであります。男歌手は困ってはおりましたけれど。

翌朝、喉がガラガラでありましたです。