2025
10.17
10.17
「あの者はどーしているのかな」から、「生きているかな?」と意識が切り替わる年齢を迎えております。
突如として連絡が絶えた相手に対して、「嫌われたか」の思いよりも「死の病にかかったのかな?」の気持ち。
先日も、ジムで、懐かしい老体にあい、お互いに、「生きていたか」の生存確認をいたしました。
生きていたから嬉しいとか腹が立つという感情とは別に、心の人口密度の意識のほうが強いのであります。
なんでもない人生。
いつかは幸運が舞い込むのではないかと待ち続けただけの人生。
あいつよりはマシな人生だったと、下と比較する人生。
反対に上とくらべては落胆する人生。
相手が死んでしまえば、妙な勝者の気分をつかのま味わい、そのあとに複雑に沈み込むのであります。
これは10年前には考えもしなかった頭脳のはたらきであります。
死というものの前に、幸運があるはずだと未来を夢みていたのですが、そもそも都合の良い幸運などあるはずもなく、未来は死のみ。
衰えゆく心身の落ち着く先を探さねばならぬ、いわば冬眠前の熊の気持ちに近いのであります。
ぼちぼち先生も腹を温める少女が必要なのであります。
●十傳より→小太りの聾唖の少女を所望しますです。