11.16
大船へ行ってまいりました。
家から三つ先の駅でありますが、ここ10年ほどは通り過ぎるだけの街。
通り過ぎつつも車窓から、大船観音の白い不気味な姿だけは目にしておったのでございます。
「いつかは…」
と思いつつも、いつでも行けると足を向けたことはございませんでした。
それが、どー言うわけか、
「行ってみよう!」
発作的に、インフルエンザの蔓延する普通電車に乗り込んだのでございました。
長い階段をのぼり詰めれば、もう、そこは大船観音。
ぐるりと裏に回ると胎蔵仏が安置され、その上は納骨堂。
望みは特にはございませんでしたが、一応、手を合わせました。
多くの人たちは、金運上昇とか、宝くじ当選とか、志望校合格を祈願いたしますが、じつはそれはタブー。かえって良くないことがおきることを知りません。
べろべろと浪費したり、くるくるパーになりったり。
四つのタブーの中の一つは、コレなのであります。
ではどーするか。
たとえ今の自分が、自分が願わぬ人生の暗闇に彷徨っていたとしても、今の自分のあることを感謝しなければならぬのであります。そのよーに感謝の念を捧げよーと、神様はそれに報いる幸運を授けてくれないとしても。いや絶対に授けてはくれません。無駄なのであります。
お金がない、病気に苦しんでいる、仕事がうまくいかない、好きな人と結ばれない、何もかもが望みどおりにならない、不合格だったとしても、それらの不幸は他人の幸運の礎なのであります。この人生の理不尽を諦めてこそ、ほんのわずかな和みを与えてくれるのであります。
とおく眼下には大船の駅、その向こうには家々が密集し、山の向こうは鎌倉の街なのでございます。
そこで人々は生まれ、成長し、幸不幸の時間という風に巻かれ、そして死んでいくのであります。死はかならずやってまいります。
拝んでも拝んでも神様は沈黙しておるばかりであります。すがってもすがっても、神様は冷たい微笑を浮かべるだけであります。
「ふふふっ」なんだかバカバカしいのであります。
やはり占いだろうな。
参道をおり、ゴホンゴホンと咳込む塵芥に混じりつつ、私メは来る冬に備えて靴下を二足求めて帰路に復するのでございました。、
おねだり信仰者ばかりだから、
神様は高天原に登って不在の神社が大半だと
言っておられた方がいました
●十傳より→神社側も強欲ですからね。
「大船」は鎌倉に住む兄の口からよく聞く地名です
つい最近、兄からの電話で、捨てられた子猫の話を聞きました
捨て猫を見た兄はコンビニでソ-セ-ジを購入し子猫に与えたそうです
子猫を可哀そうと思っても保護する事が出来なかったので
よく目にする神社に立ち寄り、子猫が救われるよう願ったそうです
数時間し子猫の様子を見に行くと姿がありませんでした
きっと神様が願いを聞き入れ、保護されるよう力添えがあったのだと
兄は電話口で喜んでいました
私は兄に「神様が願いを聞いてくれたのだと思うよ」と言い
後でお酒を持ってお礼に行くようにとアドバイスをしたのです
感謝を忘れてはいけませんね
●十傳より→それはそれは。