2013
12.09

映画のセットではございません。
浅草を歩くと、忽然と現れる江戸情緒であります。

名物の、駒形どぜう。

十傳スクールの受講生の何人かで出掛けたのでありました。

どぜうは、祖母が作ってくれた柳川鍋しか知りませぬ。
田んぼの側溝で捕まえた泥鰌を、井戸水を張ったバケツに入れ、大豆をうかべて泥を吐かせ、一週間ほどしてから料理するのでありました。
豆腐と葱と牛蒡を突っ込み水といっしょに泥鰌を煮るのであります。泥鰌が熱がって跳ねまわり蓋をした鍋を内側から叩くのであります。
祖母は、
「鬼っ子だ、人は鬼っ子だ」
と手で蓋を押しつけるように、まるで赤子の首を締めるようにしていましたが、やがて煮立つ音しか聞こえなくなった頃、ふたを開けて醤油と砂糖で味付けをするのでありました。さいごに卵でとじて完成であります。

我々は二階の部屋に通されました。
まずカンカンに熾った炭が運ばれるのでありました。
いっしょに薬味の葱がどっさり。

最近はどせうも養殖になり、しかし痩せ泥鰌しかおめにかかれませぬ。
少年の童珍の如しでありますです。

長時間の講義のために空腹は極限状態。喉もからからでございます。
胃袋にお酒をたらしただけで酔いが回り、講師にあるまじき言動に及ぶやもわかりませぬ。
さすれば来年からの講義にも悪い影響を及ぼすであろうと、「八分目に…」とボトルで頼んだお酒も控えめにしてもらうのでありました。

さすが江戸は違いますです。
濃厚な匂いがたまりませぬ。
どせう鍋の甘い湯気は室内に満ち、箸さえもうま味が染み込んでいるようであります。

「はやく食わせろ!」
腹が鳴るのでございます。

ひとくち摘みますと、ほろほろとどぜうが頬を痙攣させるではありませぬか。
「もっと、もっとください!」
お女性の悦びとは、このようなものかと納得したりするのでありますが、劣情の空想に浸っている場合ではありませぬ。

「さあ、もっとお酒をつぎなさい」
ついさっきの戒めを嘘のように忘却し、ボトルは次々に空になり、つぎつぎにオーダーするのでございました。

遠方からおいでの方々の帰りの電車が、
「間に合わぬ!」
と、三日月の偽りの光を背に浴びつつ東京駅に向かうことになろうとは、その時は気づきもしなかったのでございますです。

しやわせな師走の夜のお話でございました。