2020
04.02

渡辺淳一の映画になった小説で、四姉妹だったかが、そろって花見をみるシーンで、
「桜は咲きとうて咲くんやない、咲くのが宿命だから咲くんや」と大姉が言い、のこる妹たちが、そろって、
「宿命」
と声を揃えて口にするのでありますが、その「シュクメイ」の京ナマリがおかしくて、桜を眺めると、
「シュクメイ」
ああ、今年も声に出せた、と満足というか、一つの作業を終えた気分に浸るのであります。

とくに、今年の桜は悪くありませんです。

昨年から、政治家たちが、相手を陥れるために「桜」をネタにして大騒ぎをしたり、こんな時期に桜見物をしているのは不謹慎だと非難されていますが、私メには、どーでもよいことなのでございます。

家から出てはいけない的なムードでございますから、それこそ桜がしずこころなく舞い落ちるささやきが鼓膜につたわってきそうなほどでございます。

自宅勤務のために、お父さんが家の中でイライラ仕事をしているのでありましょうか。そとでお母さんが娘たちとボール遊びに興じたりしております。DVも相当数増えていると思いますです。

けれど桜はのびのびと咲き誇り、花びらはぜいたくに風に運ばれているのであります。

地獄が忍び寄っている暗黒を花の色で祝っているよーに、桜は春の淡い陽光に気高く咲ききそっているのでございました。

こぼれたボールをひろって娘たちに投げ返してやりつつ、
「可哀そーに」
こころで語りかけるのでありました。

そーだ、明日は鉢植えに、花の種をまいてみよう。
そーだ、花屋で花を買って、ドライフラワーをつくってみよう。

悟ったよーな私メでありますが、じつは、やがて来る経済恐慌にそなえるために、銀行に行き早めの手を打った帰りなのでありました。
そういう自分を恥じながら、自分のカンに従うそういう自分をショスがりながら、遠回りして桜を仰いでいたのです。

「易者のシュクメイ」

どうながめても、あの小説は谷崎潤一郎の細雪のパクリだな、が、そのセコさが気軽に読み捨てられる作品でもあるわけで、映画化を目的とした金銭欲すらも透けて見えるところにヒットの要因があるのかもしれないと、そうだそうだ、きっとそうだ。そこに救いをもとめながら、
「ショクメイ、シュクメイ、易者のシュクメイ」
と変な京ナマリを繰り返しては恥じ入るのでございました。