04.10
ショウガもんじゃからスタートして、明太子もんじゃ。
煙にいぶされながら、しみじみとしたお味を楽しんでいるうちに、「不要不急」の、この数日間で、いままでのすべてが無駄だったことが分かってくるのでありました。
スポーツも、ジャニーズとかいう奴らも、威張り腐っていた歌舞伎の奴らも、またえらそーに政治を口をへの字にして論じ始めたお笑いの奴らも、すべては不要不急。いらない者どもであったということが明確に見えてくるのでありました。
中国ウィルスが下火になっても、もう出てこなくて良い不必要な者どもだと分かるのでありました。
TVもなくて結構、ライブも疲れるだけ。飲み屋にも行く気がうせ、家飲みの方がはるかに楽で楽しいのであります。
「よう、いっしょに飲もうぜ。家に来いよ」
お女性に声をかければOK。
洋服もいらない、車も不要、床屋もエステもすべて浪費。遊園地などにいってホントに楽しかったか。ゴルフもスキーも愚かしい行動。
バカバカしいことに時間と労力とお金を浪費していたことが、じつによくわかるのでございますです。
ウナギやお寿司や、そーいう自分では料理できないための支出なら、有意義かもしれません。
あとは、水と米と味噌があれば、そして安酒があれば十分。
なんのために定刻に出社し、残業したかも疑問。なにもかも無駄だったのであります。
また大切な人だとて、じつは誰もいなかったと悟ったりいたします。
どーせいつかは死ぬのですから。死という別れからは免れることは出来ないのでありますから。
となると、自分にとって大切なものは何かということになりますですね。
私メは占いでありますが、それらは個々に異なるかもしれません。
けれど5月6日までの人生の長期休暇を終えた時、
「何もしなかった」
必要なことすらなかったとションボリしそーであります。
ゲームにうつつを抜かして終わってしまいました……てなことも。
そーいう他人の作ったものに対する支出は、最終の消費財となり、収入の糧となることはなく、腹立たしさだけが残る結末になりますです。
占いとかのお勉強にかける労力は、やがて収入に直結する成長財となるのでございますです。
その点をしかと頭に入れると、ほれほれ、やるべきことが見えてはきますまいか。