2023
11.02

久しぶりに、寿司をつまもうと、店に電話しましたところ、
「この電話は使われていない」
の音声。

「……!」
ショックに耽っております。

私メが京都から東京に居を移し、バイト先の社長に連れていかれたのがキッカケでありますから、かれこれ40年近くになる古い寿司屋であります。

大将も高齢で、「そろそろかな」と不安に思っていました。
「とうとう、この日が来たか」

値札があるよーでない寿司屋ですから、怖いのでありました。
しかし、若い頃はどんなに食っても、それほどの値段ではありませんでした。

あるとき、編集者を連れたところ、その編集者が「先生」と私メを呼んだ、その瞬間から倍の値段。
「ありゃりゃ、こりゃ失敗」
でも、時すでに遅く、しかし、悪い気はしないのが不思議であります。
或る意味、出世魚的な魔法の粉を振りかけられたのかもです。

以後、一年に四回ほど出向くよーになっておりました。
妙なもので、明朗会計の寿司屋は、ちと粋でないよーな、寿司の味が落ちるよーな、悪い意味の魔法の粉が払いのけられません。
回転寿司では、もっぱらラーメンだの、カルビ寿司だの海老天寿司だのを注文し、本当の寿司は、
「あそこで」
と決めておりました。

決めておりましただけに、「店を閉じられた」痛手は大きいのであります。

すべて過去になっていくのであります。

カルメン・マキの「時には母のない子のように」の歌が頭のなかを流れるのであります。
「♫寿司屋のない子になったなら、これからどこにいけばイイ♫」

大切なものがいつ失われるか、これも運命のひとつでありましょーか。