2015
08.12

ドアフォーンの音におもてに出てみると蝉が転がっておりました。

まだ生きていて触れると羽根を震わせます。誰もおらず蝉が、命を終えるところなのでした。

地上に出て一週間で死んでしまう蝉は、地中で生活している姿が本当の姿なのかも知れませんです。
最後の一週間、目も眩むような夏の光を浴び、生殖行為にいそしむのですから、それは恍惚の日々なのかもしれませぬ。
ふーむと哲学に浸っておりましたら、門の死角に宅急便屋が佇んでおりまして「サインを」と胸のホケットにさしていたペンを私メに向けるのでございます。

お盆休みで街から人々はグッと減り、宅急便屋の車の荷物も少なそうでありました。
が、重たそうな段ボールを抱えているのであります。

それは北海道からおくられた唐黍でありました。
唐黍と呼ぶのか、トウモロコシなのかコーンと呼ぶのが正しいのか、私メはつい「キミ」といってしまうのであります。
昔、行商のオバちゃんが、背に籠を背負って「キミお買ってけらぇん、キミっこおげってけらぇん」と家々を回っていたものであります。
いまでは「キミ」と言っても店員は首を傾げるばかりであります。

「キミだど。懐かし言い方だぁ」
と年配者は「いまでは若げ人はキミなんて言わねべおんね」と親指の付け根を上手に使って「ほれ、20粒とれだ」と手のひらを見せるのでありました。手のひらには一列に20粒のキミがくっついて並んでいるのであります。
でも私メは丸かじりする派であります。食い後は汚らしいのでありますが、しかし丸かじりが一番おいしいよーに思いますが、これは個人差でしょう。

頂いた唐黍は齧ると、すこし青臭く、やがて甘味がひろがるのでありました。
それは夏と秋のふたつの味覚でございます。二つの季節が同居しているのだとおもいます。

これから蝉の死骸の量に比例して秋の食べ物が出回るのでありましょう。
手のひらを陽射し除けにして「いつまでも暑いですね」などと挨拶を交わしながら、その買い物かごには梨や栗やキノコが収められている季節になるのでしょう。

お女性の美がやや陰り、男の良さが引き立つのも秋のしられざる特徴。
どーれ、女ゴロシのための秋物の服でも買いにいきましょうか。