2016
08.26

あまりの残暑の厳しさに、ランチは松屋にいたしましたです。

塩カルビ丼に、朝鮮漬けと生卵を追加し、さらに豚汁。

またしても気分は被災地の労働者。
津波で家族を失い、現在は同じ境遇の50代のお女性と身を寄せ合って暮らしている設定で、職業は、切り出した木材を山から担いでおろすという時給750円の季節労働者。

今日のランチはゴウセイなのであります。

そして、やはりすべてのドレッシングやソースをぶちかけて、ツユダクにして胃袋に掻っ込むのでありました。

空はバカっ晴れ。
さて、松屋の丼物には作法がございます。

ひと片の肉を残しておき、最後に丼に残った卵の黄身や汁をふき取るようにして食べるのがソレ。

「ああ、苦労してるなぁ」
とエアではありますが、善良な涙をこぼしたくなる感動の大団円なのでございます。

ラブホの帰り際のドアの鍵をあける束の間の、お女性のリップグロスを味わうより、ずっと有意義なよーな気がいたしますです。
なぜ、ここでラブホなのか。

そうです。飯を食い終わり、松屋から出る時の、妙な後ろめたさというかオショシイ気分は、ラブホから出る時と、なんとなく似通っている気がいたすのであります。
時計はしている、携帯は持った、財布はあるな、など何やら忘れているような気分で、心の中で持ちものチェックをするところも同じであります。
吉野家ではないことでございます。

ご飯が多すぎて、もう夕食はいらないでありましょう。
と、思いつつも、暗くなると腹が減った気分になるから、不思議なモノでございます。

2016
08.25

不思議な鑑定のご依頼でありました。

「船の中で鑑定してください」

横浜の大桟橋は晴れておりまして、鑑定道具を背負った私メは、すでに汗まみれで、いささか不機嫌。他国なのに平気で半ズボンにサンダル姿の不作法な米人を睨みつけてばかりおりましたです。

たちまち機嫌が直ったのは、ご依頼のご婦人が思いのほかの美女だったからでございます。

お船に乗船し、用意された部屋に通されてから、ご婦人は3分に一度は「死」という単語を使われることに、私メはやがて気付き、
「どーして船でないと鑑定を受けられないのですか?」
と、尋ねずにはいられないのでありました。

「それは、もうじき死ぬからです」
答えにならぬ答えを聞き流しつつ、大運を出しましたら、あらら、本当に死期にあたっていて、しかも今年、死を告げる赤い矢が日主に何本も突き刺さっているのでありました。
断易で念をいれてから、

「癌を患ってらっしゃる。胃と肺あたりに」
「はい」
しかし、ガン患者特有の悪臭がしないのは、潮の匂いのせいでありましょうか。

「死にますよね」
「八割方は…」
私メは、占いの結果を、誤魔化すことをあまり得意といたしませぬ。

事業占でも出たままのことを、つまり「その信頼している人は、使い込みをしています」と断言してしまうのであります。

病占で、これは相手に致命傷を与える結果になっていたとしても、人はいつか孤独に死ぬのだ、あがいても、その事実だけはゆるぎないのだ、なんて考えているモノですから、「大丈夫ですよ」と空元気を与えることは出来ないのであります。

が、救いは、どんなケースでもあるのも、また真実でございます。
手術で回復したら、癌が消えていた例も知っております。
病気は治らなくても、余命を充実させることもまた救いの一つでございます。

自分の履歴を見つめることで、自分が何のために生まれてきたのか、そして何のために生きればイイのかが見えてくるのであります。
これまでの人生を邪魔な人間関係だの趣味だのそういうことを削り取ると、小さな種が残るのであります。存在の種であります。

やり残したことがあると思うのは本人の勝手でありますが、存在の種から見れば、死ぬべき時に死がやってくるのであります。

そして、存在の種をしることで、奇門遁甲他の方術を副作用なく操ることが可能になるのであります。

我々はお金や愛欲のために生きているよーに思いますが、案外と、それは錯覚であることが分かって参ります。

ご婦人は「そうです、そうです、そうなんです」と海の向こうを見つめたのでありました。「そうです、そうです」と。
「死ぬことに勇気が出てきました」

「しばらくお一人でお考えください」
すでに二時間が経過していたのであります。

また船上での来週の鑑定の依頼を約束し、私メは「次はカジュアルな感じでお願いします」と言葉を残し、用意されたタクシーで横浜駅へと帰路についたのであります。

※この鑑定を当ブログにUPすることについては、ご婦人から了承を得ているのであります。

2016
08.24

数年前に、庭の隅に植えた蜜柑の木に、はじめて実がついていることに気が付きましたです。

夏の暑さのため、庭の手入れなど考えられず、また蚊に刺されるリスクを負うこともないと、捨て置いてのであります。

完全に諦めていただけに、驚きなのでありました。

昨年などは、実のならない木など切ってしまおうとも思っておりました。

心理学とか統計学は過去のデータの蓄積で物事を判断するわけで、その他の学説も同様であります。
ところが、庭の蜜柑ではありませぬが、世の中は突発的な出来事が無数に発生いたします。地震とか津波とか火山とか殺人とか事故とかそういうものであります。
そういう予測外の出来事を考慮していては心理学も統計学も様々な学説も成立できませぬ。

しかし、20代の性欲魔、タカハタ君にレイプされたホテル従業員の40代のお女性のように、突然にこそばゆい運命が待っているのであります。

そして、その突如として発生する出来事を加味しなくては、本当のところが見えませぬ。

ここに占いの妙味がございます。
予測できない未来に対して、或る程度の光を投ずることが、占いの持ち味だからであります。

窓下の蜜柑よ、台風に耐えて、なんとか実ってもらいたいものだと願うのでありました。
この蜜柑が、運命を変化させる一つの要因にだってなり得るのであります。