2010
12.08

DSCN6297茅ヶ崎の通りも、まずしいクリスマスの飾りつけがわびしく置かれています。

新宿や原宿とは比べ物にならないほどのお粗末さであります。

が、何故だか、こちらの方が心に染み入るのであります。

貧しさと幸せはけっしてイコールで結ばれないのかもしれないのであります。

さて、気になるコメントがございましたから、再載いたしますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『あなたは、恵まれていますか?』
と、聞かれ・・・。
北、アフリカの恵まれない人々を考えると、
『まあまあ、恵まれているのだろうな』っと。
その反対に、何不自由ない環境のお坊ちゃんが、
『退屈すぎて、つまんない・・・』とかのたまう時には、
殺意さえ覚えるものです。
上を見ても、下を見てもキリがない・・・。
普通の人々というのは、どこかに落としどころを考えるべきでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このようなジレンマに私も陥りますです。
ギリギリと歯ぎしりするような、そう殺意の一種なのでありましょう。

たまに、私は仕事がひと段落したとき車を走らせます。
海老名インターから100キロほど走らせて帰るのであります。

ストレス発散でありますから、次々に追い抜くのであります。場合によっては後方からパッシングし生意気な車を追い越され車線に押し込め、その脇を動物の叫び声のようなスピードで抜くのでありました。

が、どんなに抜いても抜いても、前を走る車は尽きません。
当然のことであります。
そんな当たり前のことに気づいてからというもの、私は自分の速度を守るようにしております。110キロですね。

どんどん私を抜いていく車がおりますが、ちっとも気にならなくなりましたです。

上を見ても下を見てもキリはございません。
が、何が上で何が下なのか。

自分のリラックスできる速度で走ること、そして貧しいけれど心に響くクリスマスツリー…。一つのことのような気がしないでもないのであります。
軽トラのツーシーターのハンドルを操りながら語り合う老いた夫婦。
負け組と言われても、負けるが勝ちというか、そういう勝ち負けては別の領域に幸せというものが息づいているような気がいたします。

ああ、コンビニの前で、肩を寄せ合ってカップ麺をすすっている恋人たちが羨ましい。なんという贅沢なことかと…。