2016
03.13

講義をしながら、ときどき自分の話に自分で気づかされることがございます。

本日は、十傳スクールの「滴天髄科」。四柱推命のバイブルのことであります。

しかし、秋から予定している、四柱推命中等科に備え、用神について講義いたしました。
用神とは、生年月日から導き出される命式でのポイントとなる干支のことであります。
この用神さえ備われば、人生がトントン拍子に進む、いわば幸運の鍵なのであります。

しかし、用神を語ことは、受講生にとって辛いかもしれませぬ。なにしろ自分たちが、いかに不幸な運命を背負っているかを、まざまざと知ってしまうからでございます。

が、その悪さを知り、そういう悪さから逃れる手立てを打つことが出来るのでございますです。

さて、本日も、講義中に、ふと私メ自身の用神に思い当たることがございました。凶悪な「火炎土燥」という何ものも育たない暗示を持つ生年月日なのであります。そして、唯一の救いの用神が、現在回坐しているのであります。

むろん、そのことにはとっく知っております。

気付かされたのは、火炎土燥という熱を冷やすということは、いかなることなのか。そのことでございます。
周囲にサービスをしなければ、この命式での幸運を得ることはできないことだということ。これをしみじみと実感したのでありました。

大運の変わるときに生じる危険な接木運をなんとかクリアしたいま、あと約8年間は、徹底したサービスに努めることで、そのあとに初めて自分の幸運を得られるのであります。

「うまいことを言ってやがる」と感じられても仕方ありませぬが、身旺の生年月日はそういう仕組みなのだから仕方ございませぬ。

たとえばお女性に徹底した奉仕をし、激しい快楽の渦を体験してもらってからでないと、自分の悦びはないのだというワケであります。

でありますから、最近になって当ブログで、皆様に「金持ちにするぞ!」などと啖呵を切っているのは、大運で用神が到来していることと、あながち無関係ではございませぬ。

私メの四柱推命は独特なモノでございます。百発百中。あとは的中した内容をいかに深めるか。それだけであります。

秋からの中等科を「四柱推命卒論科」と改めよ―か、などと考えたりしておりますです。