2017
06.19
06.19
花言葉はいろいろですが、「うつろう愛」がイイように感じますです。
が、この花は、じつは花ではなくて額だというのも面白うございます。
ホントの花は別なんだとか。
と、すると「誰も知らない私の心」も花言葉に追加してもイイかもです。
気まぐれな明るさを振りまきつつ「これからちょっと用事があるから…」と仲間の誘いをやんわりと断り、密会の飲み屋へと向かうお女性の姿が連想させるのであります。
逢うまでは逢うことばかり期待し、逢えば物足りなさをかんじ、サヨナラを告げると逢っていたのが嘘のようにもおもえ、心の底で咲くホントの花を見てくれなかった淋しさがかなしく、夜更けの駅の構内をさまようようにホームに出ているのでありましょうか。
私はじゅうしち、私はにじゅうしち、私はさんじゅうしち、私はよんじゅうしち……わたしは、わたしは、わたしは。
紫陽花が色を変えるように愛する男をかえながら、ホントの花は枯れてしまったのか、最初から咲かなかったのか。
もういちど、じゅうしちの自分に逢ってみたい。
梅雨の晴れ間の妄想に浸るのも悪くありませんです。
私メは、神田の小道を曲がりました。
24歳の私メが、6月17日午前9時30分に通った小道を。
40年ほど前の小道はまだ存在しておりましたが、紫陽花の鉢を店先にだしていた喫茶店はありませんでした。
もちろん私メも私メをまっていた昭和30年6月4日生まれのお女性もいないのでありました。
この命式はやがて講義のネタとなるのであります。
誰もしらないあなたの心。