2017
08.31

夏が逝くのであります。
どんなに暑くても、もはや夏に勢いはなく、靴音が耳に響く季節が戻ってきたのであります。

「ああ、夏がなつかしい」
そう思える日々が、そこまで来ております。

すると、ふいに、どこかへ旅行したくなるのでございます。

遠くの北の町で、喧騒の東京をいとしく、そしてどこか、逃げだしたうしろめたさを憶えながら感じたくなるのであります。
ネットには載っていない、さびれた漁師小屋のような店で、炉端の煙にいぶされつつイカ焼きをつついてみたいのであります。

無責任な旅行者ほどしあやせな存在はありませぬ。

宿屋で、文房具屋で買ってきた便せんに万年筆で手紙を書きたくなるのも旅行者のしやわせであります。出すことのない手紙であります。

あのレディはどうしているかと意識のなかで大きな領域を占めているお女性を想いながら、メールも電話もせず、放置するほろ苦い気持ちも悪くありません。

そしてたとえば、ドンキの大人の玩具の売り場にしゃがんでローションを選んでいる二人連れのギャルと目が合い、ニヤリと「不味い店で飲むか」などと気が合い、「おじさんヤリたい?」「女は買わない方針ザンス」などとバカ会話の合間に、「好きな女がいましてね」と放置しているお女性について喋りたくなるのも旅情なのであります。

「バカじゃねえの、このジジイ」
ガハガハ笑われることで、安らぐこともあるのであります。
じゃあ、またね。
二度と会わぬサヨナラを交わしたとたんに、とても贅沢な喪失感にとらわれたりするものであります。

私メの旅行は、同じ場所に向かう習性がございます。
以前に入った店の扉を押しますと、
「おっ、キムラちゃん」
出張しているという嘘や偽名の楽しみをたのしめるからでございます。

占いを披露したくなることもたびたびであります。
そういう時は手相や人相で我慢するのでございますです。

宿に戻り、布団にあおむけになり、しかし、どーしてもどーしてもメールを打てないのはどーいうわけでありましょーか。
いやいや、これは妄想のお話であります。
旅行もしていなければ、宿屋にいるわけでもございませぬ。

四月に行った釧路の画像を眺めて想像に浸っているに過ぎないのであります。晩夏の夜のたわごとでありました。