2023
01.10

すき焼きなどに投入する生卵。
これを私メはつぶしませんです。

いつからなのか、幼少のあたりの、たぶん亡父への反抗がここから始まったのかもしれません。
卵を割って、箸で、ちゃっちゃっちゃと、のどかに潰す亡父に対して、
このやろー、自分はおぬしのよーには、
「ならぬぞ」
と、出来るところから反抗を始めたのではないかと。

思えば、仕事でも、困ったぞと行き詰まる壁にぶち当たったとき、亡父ならどうしただろうか、と考え、その亡父が選んだだろう道とは反対の方法を選択してきたのであります。

編集者と、かなり以前、馬肉のすき焼きに呼ばれた時も、卵を溶かさずに、最後まで黄身のままキープしておりました。
「オノさん、卵お替りしていいんですよ」
編集者は、この人はさぞ貧しい生活をしてきたのだろーという顔色で、私メの小丼ぶりの黄身をのぞき込み、気の毒そーに言ってくれたものでありました。
いえいえ、潰さない派ですから。
そんな派ってないでしょー。
白味が豆腐などの熱で白く固まり、そこから味わい、最後に黄身を…美味いですよ。

やはり黄身も野菜などの熱で固まりかけ、それを最後の最後にに口にする至福は、すでに亡父の対する反抗の域を超えておるのであります。

もしも、ネギなどの先で黄身が壊れるよーなことでもあれば、
「凶兆だ」
悪しきことでも起きるのではないか…!
心は怪しく騒ぐよーになっておりますです。

もしも私メが千利休であったなら、卵の食い方を「開運のマナー」として押し付けたことでありましょー。