2025
04.07
04.07
最近、断易の神蓍をひと振りすると、魂が疲れるのであります。野球でいえば、一球入魂。
断易ですからひと振り入魂ということになるのでしょうか。
そんなに「気」を入れなくても、断易はその通りのことがサイコロを通じて出るはずなのです。
卦は、たとえば発掘された恐竜の爪のようなものでして、その爪の状態から計算して、恐竜の実像をよみがえらせるのと同じく、出た卦から、相談者の運命を解読する作用なのであります。
相談者がイチバン気になっていることは、別に必要以上の「気」を入れずとも、自然に卦として出ることになっております。寝転がって振ってもいいし、ウンコを垂れながら振ってもイイのであります。
しかし、相談者に変わって卦を出すのですから、易者自身の存在を消さなくてはなりません。
相談者の内部に入り込むためには、易者自身の存在は邪魔であります。
そこで、私メは神蓍を下段から斜め下、斜め上、真上へと、孤を描いていきます。しだいに自分の存在が分散されていくのであります。
そして、「気」が充実した、
「今だ!」
という刹那に神蓍を振り下ろすのであります。
ここで激しい気の消耗が起きるようでございます。
ジンと頭の芯が痺れ、止めていた呼吸が、残心というようにさらに止まるのであります。
文章にすればカッコイイのですが、その疲労は、事務所の照明を落とした時に一気に襲ってくるのであります。
もっと楽にできるのではないだろうかと思いつつ、そこから抜け出すことは出来ないと自覚しておりますです。