2011
04.27

モリオカ・バスセンターという、なんともローカルな雰囲気のする、しかしかつては市内の中心地だった建物から、深夜バスは出発するのであります。

みな地味に見えるのはジャンゴタレだけではなく、このバスセンターが原因しているのであります。
高校二年の春、私は学校をさぼってここから自動車試験場にいき、三度目で自動二輪の運転免許証をとったのでした。

そういうことを考えていますと、「舟がでるぞ~!」みたいに係りの人が肉声を張り上げるのでございました。

いよいよモリオカを脱出するのであります。
やく一週間の滞在でありました。

新幹線がまだ十分に復旧していないために利用客が多いらしく、東京へ向かうバスは5台。
バスセンターを22時55分に出て東京駅に6時30分あたりに着くとのことでありました。

…と、ここまでは私ははじめてのバス体験にすくなからず心を躍らせていたのでありました。
モリオカの知り合いに飲み物は用意しておいた方がいいと言われていましたから、ミネラル水をバッグの中に。
そのほかに「ピリッと焼きかまぼこ」も。

真っ先にバスに乗り込んだのでありました。
楽しかったのはモリオカ駅に立ち寄ったわずか15分まででありました。
バスは東北縦貫道をひたすら南下するのであります。
窓はカーテンで覆われ、正面の窓すらもカーテン。何も見えなくなったのでありました。
そして消灯。
完全な闇であります。
「手元の照明はすぐに消すこと」
なんて命じられたのであります。
そればかりか、途中のパーキングエリアでの休憩もないとのこと。パーキングで三回ほど停車するらしいのですが、それは運転手の交代をするだけのため。

じっさいにパーキングで停車するのですが、そのときほど閉じ込められたという気がしてしまうのでありました。
どこを走ってているのかも分からないのです。

息が苦しくなり油汗がにじみ、発狂寸前でございます。

「スケベなことを考えて心を落ち着けよう」
と自分に言い聞かせるのですが、そんなときに限ってスケベなことが出てきませんのです。

しかたなくipodを取り出し、古い音楽を聴くことで急場をしのいだのであります。
とてもじゃありませんが眠れたものではございません。

で、ありますからバスが高速をおりて王子あたりまで来たときはホッといたしました。

なんと東京は美しい街であることかと感動すらいたしましたです。

そして、乗ったと時とは別の意味で、やはり真っ先に下車したのでございます。
プス~と放屁しまして、神楽坂の事務所へとたどり着いたというわけであります。

2011
04.26

実家の庭にさくカタクリのはなであります。
そろそろ、この花が終わりです。
ということは、やがて野花がつぎつぎに花をほころばせる頃も近いのでございます。

連日の被災地に疲れてきているのかもしれませんが、モリオカの春はいつもより遅いような気がいたしますです。

物置小屋を片づけながら、ときおり日だまりや、木陰に咲くいくつかの花たちを見やるのでありました。

なにごともなかったように春は巡っておるようで、それはそれで残酷なかんじがしないわけでもありません。

幼き頃のあれこれが頭のなかで繰り返しながら思い出されるのでありました。

ついさっきのことのようで、しかし取り返しのつかないくらいの歳月が経過しているのでした。
百年間も同じままでいることはできませんですよね。
平和を願っていても自然災害という猛威にさらされるわけでして、いやいや、あの人はどうしているかと考えて、ああ、もう三十年も前に死んでいたんだっけと、知っているはずのことをあらためて再確認したりするのであります。

このガキは私メであります。
お手伝いのオネエさんに鍋からなにかを与えられているのでありましょう。

まさか50数年後に易者に身を落としているとは誰もおもってもいなかったでありましょう。

こういうような思い出の品々が物置小屋のいろんなところから見つかるために、一日で片付くものも片付かないのであります。

人生とは思うようにいくことなど一つとしてないようでありますね。

2011
04.25

ようやく従弟の家の一階部分の瓦礫は撤去できたのであります。

ここで従弟のお嫁さんと三人の看護婦さんが死んだということであります。

けれど、まずは壁紙を貼ったりすれば開業はできるとのこと。
イイ忘れましたけれど従弟は医者なのであります。

が、瓦礫を撤去しても、ガスも水道も電気も復旧していないのであります。

開業医だとて甘えてはいられないのであります。

家の周囲はこういう惨状。
従弟の家をどんなにキレイにしたところで、電気もガスも水道もダメなのであります。

従弟は近くに診療所を借りる算段がついたと言っていますけれどなにかが違うのでございます。

そういうことをしている場合ではないような気がするのでありました。

自分の家だけの瓦礫を撤去しても、なんにもならないのであります。
こういうときには公民館などに避難している人たちに対してすべきことがあったのではなかったかともおもうのであります。

この数日、私たちがしてきた作業は無為だったとも思えるのでありました。こういう時は原始的な人の結びつきを優先すべきだったような。

終わったなぁと思うのであります。
諦めともつかない気持ちであります。が、この一種の終末感は、まだ若かったころから知っていたどこか懐かしいおもいもするのでございますです。

ありゃりゃりゃ、これは恋とおなじような気持ち。いずれどの恋もおわるんだよなぁ、という気持ちとどこかで結ばれている諦観とでも言いましょうか。

釜石からモリオカへと向かう二時間ほど、私たちはおもえばひとこともしゃべらないのでありました。
通い慣れはじめたこの道も、ふたたび疎遠な道になるのでありましょう。