2011
07.25

茅ヶ崎駅周辺にあるのに、いがいに見つかりにくい居酒屋なのです。
いや……。
この居酒屋にたどり着く前に、茅ヶ崎周辺の居酒屋にいくときはいつも自転車を利用しているのでありますが、その自転車のチェーンがはずれたのでありました。
そのために、店を見つけるより、ペダルをキックして進むことに神経を費やして、それで店が見つからなかったのかもしれません。

「行ってはならぬ」
と何者かが、私に告げているのかもしれないと、頭の隅で考えたりしておりました。
なにごとにも前兆というものがございます。
自転車のチェーンが外れたことも前兆かもしれません。

しかし、前兆は、悪いことの前には悪い出来事、良いことの前には良い出来事として提示されるとは限らないのであります。

まぁいいさ、と引き戸をあけると、こういう前掛けをしたネェさんがお出迎え。

これは大したことはないかもしれない、と直感いたしました。
レトロな前掛けがダメだというのではございません。
が、このような前掛けをすることにこだわっている店は「ありゃーん」と空振りすることが多々あるのでありました。

じっさい、お茶割りの焼酎のうすいこと。健康に良すぎるほどの薄さであります。
それなのに420円はちと値が張りすぎではないかとおもうのでありました。

やはり、350円あたりがお茶割りの相場でございます。

でも、ネェさんはスレンダーな美人。
お客さんは豊満な乳房をゆうした美人や、皮肉な笑みで流し眼をおくってよこす美人、それから店の奥にはかつてはモデル志望だったとおもわれる、でもいまは普通のOLさんとして働いているだろう小生意気そうな美人か潜んでいる店なのであります。

ひとつだけ良いところがあるとすれば、メニューに、白レバーがあるところでありましょうか。
すかさず注文いたしました。

しばらくして出された白レバーは、ちと焼き過ぎ。

夏場なので店側では気を使っているのでありましょう。

私にしても藻屑現象から免れるので、その点においては助かるのでありますが、せっかくの白レバーはやはり火の加減を絶妙にしてほしいのでありました。

店内の隠れ家風な手作り感たっぷりな雰囲気はわるくありません。
美人が集まるのも嬉しい店です。

これで味と値段が見合えば最高の店となることでありましう。

自転車のチェーンが外れたのは何の前兆なのか、私はまだそれに気づかずにいるのでございます。

2011
07.24

湘南の海から富士が眺められるのは10月から5月まで。夏場はたまに朝に見える程度。
なのに7月の真昼に、富士がくっきりと眺められるのです。
伊豆の天城あたりまで眺望できる、この不安な気持ち。

易者というものは、神経質な渡り鳥のように、ちょっとした変化というか不協和音に敏感であります。
不倫中の40代半ばの人妻が、彼とのつかの間の逢引を待ち焦がれて、待ち合わせの飲み屋で携帯電話をひっきりなしに覗き込んでは連絡の有無をたしかめているのを、冷静に観察しながら、その恋情の程度をはかるようにであります。
口では、彼との関係を軽い調子でいいながら、じつは女子高生よりも純に想いを高めているケースがありますから、その軽い口調を信じては判断にミスが出るのであります。
彼のことを語るときの表情の変化を、水の波紋を見るように観察する習性がついているせいか、わずかな気候の変調にたいしても普通の人より重大なものとして受け止めているようであります。

なにか禍々しいモノが近づいている気がしてなりません。

こうして根拠のないことを語っていたずらに恐怖心をあおるのはいけないのでありますけれど、思い出したように大きな地震が東北ては起きているし、真夏なのにいやに涼しい日が続いたり、Hな国であるスェーデンでテロが発生するなどのことが連続しますと、それらはまたなにかの予兆のような気がするのであります。
ニュージーランドで大地震が起きてから3週間余り後に、東北の震災があったようにであります。

奇妙な年であります。

2011
07.23

東京に住んでいた頃、年に一度は海水浴に海にきていました。
それが7月であれ、東京に戻ると、心なしか秋を感じたものでした。

それと同じような秋を感じさせる日が続いています。
いや、じじつ、浜には無数のトンボがとんでいるのです。先週までは見かけなかった風景であります。

いちやにして季節が秋になったような、そんな気がいたします。

どんなに素敵な女の子とつきあっていても、不意に恋情がさめる一瞬があります。
ドライブをしていて「ちょっと電話してくる」と車から降りた女の子を、目で追いながら、彼女が公衆電話で会話している後姿をながめたとたんに、「オレは何をしているのだ」と熱情の冷えたことをおもいだしました。
そこで、冷えたままで終わるのか、それともふたたび彼女への想いが熱くせり上がってくるのかは、ケース・バイ・ケース。
けれど、真夏の真ん中の涼しさのような、恋のエアポケットっつうものがあるのは事実でありますね。

ここは茅ヶ崎のはずれ。平塚との境にちかいスポットであります。ここまでくれば、もう観光客の姿はまばら。
「海の底が変わっちまってるよ」
などと地元のサーファーが語り合ったりしております。

ところで、心が冷める一瞬を、記憶をほじくり返しておもいだしますと、
●お金を支払う姿
●エレベーターを待っている時の姿
●別れてから電車にのっている時の姿
●待ち合わせで人を待っている時の姿
などでありましょうか。
ごくごく普通の姿なのでありますけれど、おそらく、その普通の姿から、なにやら他人のようなエゴっぽいモノを感じ取ったのでありましょう。
ちがうのかもしれません。
よく分かりません。

不協和音をききとったことだけは確かなのであります。

真夏の真ん中の涼しさ。
恋が途切れる刹那を思い出させる涼しさであります。